タイミングを読み違えて、ラインを引っ張る北井佑季を援護することが出来ずに、為す術なく敗れ去った2024年のグランプリ。
5回目の挑戦でも、悲願であるグランプリには手が届かず。父であり、師匠である郡司盛夫と共に競輪界の頂点を狙う郡司浩平。
彼が競輪選手を志したきっかけは何なのか?どのような経歴を持つ選手なのか?郡司浩平について徹底的に調査しました。
予想情報を提供するサイトは沢山ありますが、実績で選ぶなら「競輪オリンピア」を強くおすすめします。
数多くの予想サイトを検証してきた中、的中率&回収率は常にトップクラス。さらに、無料予想の収支も頭ひとつ出た存在です。
費用等は一切掛からないので、まずはご自身の目でお確かめください!
郡司浩平のイケメン画像集
リトルリーグでは日本一になったスポーツ万能少年。まずは、高校時代はモテモテだったというイケメンぶりをご覧ください。









鍛え上げられた胸板と端正なルックス。こりゃモテるわけですw
郡司浩平とは?
評論家が絶賛する”鍛え抜かれた筋肉”を持つ男・郡司浩平。全国大会で優勝するほどに、野球一筋だった学生時代から競輪選手へ転身するきっかけは何だったのか?
幼少期からプロとしてデビューするまでの歴史、郡司浩平という男の内面について、細かく調査を行いました。
郡司浩平の公式プロフィール
公式画像 | ![]() |
名前 | 郡司浩平(ぐんじこうへい) |
ニックネーム | こうへい |
生年月日 | 1990年9月4日 |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
デビュー | 2011年1月15日(99期) |
身長/体重 | 167.0cm/80.0㎏ |
背筋力 | 200.0kg |
血液型 | A型 |
太もも | 62.0cm |
好きな食べ物 | 焼肉 |
嫌いな食べ物 | なし |
ホームバンク | 川崎競輪場 |
太ももは62.0㎝
身長は167.0㎝と小柄ながら、体重80.0kgとガッチリした体格。太ももは62.0㎝と競輪選手の中では平均的なサイズ。
兄と妹の3人兄弟
郡司浩平は3人兄弟。兄は1歳上で、小学校・中学校時代は同じ野球チームにいました。ただ、兄は本質的にインドア派なので、スポーツの道へは進まず、ゲームやパソコンに詳しいタイプ。妹は何事も楽しむことが出来る明るい性格なのだとか。
野球少年で全国大会優勝
兄と友人の影響により、小学生に入ってからすぐに野球を始めます。リトルリーグでは「全日本リトルリーグ野球選手権大会優勝」。日本一となります。

サッカーやバスケ、体を動かす遊びが好きでした。教室の中ではピンポン玉を使って、ミニ野球をやっていました
ポジションは、低学年ではキャッチャー、リトルリーグでは内野手、シリアリーグでは外野手。ヒットを狙う「アベレージヒッタータイプ」で、バントや流し打ちなどの小技が得意な選手でした。
この頃は、プロ野球選手を目指すものの、中学生になって自分の実力を把握。プロは難しいことを知り、甲子園を目指しながらも、楽しむことに重点を置いて野球を続けることに。
横浜商業高校進学も甲子園出場ならず
高校は野球の強豪校である「Y校」こと横山商業高等学校へ進学。シニアリーグ時代と同様に外野手のポジションで、必死に練習して甲子園を目指すも、激戦区の神奈川県予選を勝ち上がる事が出来ず。甲子園への出場は叶いませんでした。



敗退は悔しかったですが、「野球と決別する意味合い」が強くて、負けた時は、寂しさと切なさを感じました
ちなみに、高校の頃は相当モテたそう。当時の横浜商業高校の男女比は3:7。数の少ない男子の半分が野球部におり、「野球で活躍する生徒=カッコいい生徒」という流れがあったのだとか。
誓約書を書いて父に弟子入り。競輪選手に
高校で野球部を引退した後、進路を考えるようになった郡司浩平。友人は消防士や警察官など、体を使う仕事を希望しており、一時は警察官への道を考えます。
ただ周りに流されて考えている事に気付き、自分がやりたいことと向き合いはじめる。
- 体を動かす仕事
- 専門的な仕事
この2つに焦点を絞った時に、父親の職業である競輪選手が浮き上がる事に。父親である「郡司盛夫」に競輪選手になりたいと相談。
過去に兄を競輪選手にしようとして、断念された父親。「中途半端にやるな、よく考えてから決めろ」と諫めますが、郡司浩平は本気で競輪選手になりたいと伝え、競輪選手への道へと進むことに。
いままで優しかった父親。しかし、競輪選手になる事を決めた息子に対して、厳しい態度で接することを宣言。
- タメ口はNG。敬語を使う
- 無駄話はしない
- 師匠が言った指示には従う
これらを約束したことで、競輪選手への道を歩み始めます。
甲子園の予選大会を戦い終えた翌日から練習を開始。1度目の試験は落ちてしまいますが、2度目の試験で競輪学校に合格します。
師匠は63期「郡司盛夫」


師匠は父親である「郡司盛夫(63期)」。
- 1982年11月7日(50期)
- S級在席歴あり
- 通算勝利数129勝
- 通算優勝回数6回
競輪学校入学前はもちろん、選手としてデビューしたあとも付きっきりで指導。郡司盛夫は2018年に選手を引退しますが、現在も競輪場内で勤務。仕事の合間にはバイクで、引いてもらうなど、現在も一緒に練習しているそうです。



尊敬している人物は、父親であり、師匠でもある郡司盛夫です
努力家かつ心配性な性分
ヤンチャな見た目とは裏腹に、性格は努力家で心配性。
「強くなるため」と前向きな気持ちでトレーニングをしている反面、トレーニングをしないと弱くなってしまうという脅迫観念を持っており、気分が乗らない時もトレーニングをサボったことはないと発言。
競輪はオフシーズンのない職業。継続する力は大きな武器となっているようです。



他人から見ると「強気な人間」に見られますが、自分の中では「心配性の努力家」という認識です
成長を続けるため、心身共に自分を追い込む郡司浩平。競輪選手としての”楽しさ”と”辛さ”の割合は2:8。辛いことが圧倒的に多いようだが、たまに発生する喜びは何物にも代えられないのだとか。
仲の良い選手は「和田真久留」「深谷知広」
仲の良い選手は「和田真久留(99期)」・「深谷知広(96期)」。
プレイベートで出掛ける事の多い「和田真久留」。
- 1991年3月2日生まれ
- 2020年、通算200勝を達成
- 2024賞金ランキング18位(6200万円)
郡司浩平から見ると1期下の後輩。大好きな焼肉を食べる時には真っ先に声を掛ける可愛い後輩。ホームバンクは平塚であることから、南関東ラインも組むこともしばしば。
高松宮記念杯2024の優勝戦では、脇本雄太と競り合う姿を見て「泣きそうになった」とコメント(和田2着、郡司8着)。バンク内外で懇意にしている友人です。


車好きで繋がりのある「深谷知広」。
- 1990年1月3日生まれ
- 2024年、通算400勝を達成
- 2024賞金ランキング11位(8100万円)
- GI2勝(寛仁親王牌競輪・高松宮記念杯)
郡司浩平の2年先輩。デビューから無敗での18連勝を記録して、デビュー年に一気にS級へ駆け上ったスーパールーキー。デビューから2年後に高松宮記念杯を制し、最短でのGI制覇記録を保持しています。
今まで乗った車は40台以上と語るように、無類の車好き。郡司浩平が乗っている愛車アストンマーティンのSUVは深谷知広の強烈なプッシュによって購入したのだとか。
2020年には豊橋から静岡へと移籍した深谷知広。同じ南関東になったことで、今後ラインを組む頻度も増えそう。
.jpg)
.jpg)
.jpg)
北井佑季、郡司浩平、深谷知広、岩本俊介、和田真久留。現在の南関東のラインは充実しているぞ
ラインについての解説や予想法は以下を参考に。


鍛え上げられた筋肉が話題に


SNSやyoutubeで見られる”郡司浩平の筋肉”が話題に。
競輪選手と言えば、”ぶっとい太ももと鍛え上げられた下半身”というイメージがあるが、郡司浩平は上半身の筋肉も素晴らしい点が特徴。SNSでは「体が美しすぎる」と絶賛の声が。
身長は167㎝と小柄ではあるものの、骨格が良く、体重は80kgオーバー。
- 肩甲骨から股関節にかけての動きがスムーズ
- 股関節の高速回転を、上半身が上手くガイド出来てる
- 関節間に短く太く付着しており、メリハリのある
上記のように専門家が語るように、上半身と下半身の巧みな連動を実現させています。競輪選手としても、男としても、惚れ惚れする体つきです。
ルーティンでは1mm単位で自転車調整
「ルーティン」は1mm単位での自転車セット。
高校まで野球一筋だった郡司浩平。より高いレベルでのプレイになるほど、道具の大切さを痛感するようになった。競輪においても、自身のレベルが上がると同時に”自転車のセッティング”が大切であることを痛感。
1mm単位のセッティングや乗り方のフォームなど、些細なことでスピードが変わる事に気付いてからは、念入りに自転車のセッティングを行うことがルーティンに。



がむしゃらに練習する事も必要な過程ですが、高次元になればなるほど、論理的なアプローチも必要だと学びました
プロになってからは日頃の行動にも気を付けているよう。
- 落ちているゴミを拾う
- 脱いだ靴は揃える
- 人に対する際は丁寧に接する
競輪は勝ち負けのある勝負の世界。一人で行う競技ではない分、単純な実力だけでは決まらない側面がある競技。実力を超えた先にある「勝負運」を大切するために、普段から徳を積むようにしている。
また、ゲン担ぎや必要以上のルーティンは極力避けているのだとか。



やることが多くなってしまうと、それが出来ない時に不安になってしまう。必要最低限のことにとどめている
コロナ禍・災害への寄付活動
年 | 内容 | 金額 |
---|---|---|
2024年2月 | 川崎記念4連覇後、能登半島地震の支援として日本赤十字社に寄付 | 50万円 |
2021年3月 | 全日本選抜競輪優勝後、新型コロナ対策として川崎市へ寄付 | 100万円 |
2020年12月 | 競輪祭優勝後、新型コロナ対策として川崎市へ寄付 | 50万円 |
2018年8月 | 台風被害支援として日本赤十字社に寄付 | 50万円 |
ボランティア意識の強い郡司浩平。コロナ禍や災害への対策支援として寄付を行っています。



コロナ禍で外出が満足に出来なかったとき、川崎競輪場で練習させて貰えたことに感謝しています
「徳を積んで、勝負運を溜めている」という側面もありますが、当たり前のようにある物、普段傍にいてくれる人への感謝の気持ちが伝わる行動。アスリートとしても、人間としても一流です。
2018年、フジテレビ系アウトデラックスに出演
2018年、フジテレビ系列で放送された「アウトデラックス」へ出演。
出演のきっかけとなったのは、レジェンドである後閑信一。強面で、サングラスをかけているヤバいビジュアルに反して、スイーツ・動物好きが話題となり、番組内で大ブレーク。
アウトデラックスに出演していたタレントの矢部美穂が、「競輪選手と合コンをしたい」と提案したことから企画スタート。競輪選手側のメンツとして、郡司浩平、堀内俊介(107期)、簗田一輝(107期)がキャスティング。
女性側は、矢部美穂、高橋ひとみ、ミラクルひかるの3人。年収や恋愛対象となる年齢などを聞かれる様子が放送されました。
.jpg)
.jpg)
.jpg)
放送時間は短く、詳細は放送されなかったんだ
郡司浩平の結婚・彼氏・趣味・年収(賞金)
デビューから2年目でS級に昇格。競輪選手としてエリート街道を歩いてきた郡司浩平。毎年、どれくらいのお金を稼いでいるのか?
普段のインタビューでは話題にならない女性関係も含めて、お金・趣味などのプライベートな部分を徹底的に調査しました。
公式発表はなしも既婚が明らかに
競輪界のトップであるS班に所属し続け、地位・実力・ルックスを兼ね備えた郡司浩平。女性との交際情報は公にはなっておらず、2019年のインタビューでは「彼女募集中」と答えていました。
果たして、結婚相手がいるのか?彼女がいるのか?様々な媒体から調査しました。
公表はされていませんが、インタビューや記事内には奥さんの話題がちらほら。
焼肉が好きで、美味しい店を調べて行ったりもします。
奥さんとはもちろんですが、(和田)真久留など仲の良い神奈川の同級生選手と行くこともあります。(2023年1月31日 けいりんマルシェより)
郡司浩平の優勝祝勝会にジャングルポケットおたけがサプライズ登場。おたけの姉と郡司の妻が知り合いで、おたけがオーナーを務めるもんじゃ焼き店に郡司が訪れた縁もあって今回の登場となった。
(2024年10月10日 スポニチより)
結婚した時期や子供の有無については公開されていませんが、2023年1月の段階では結婚してることが判明。
ちなみに独身時代はガッキー(新垣結衣)が好きと公言しており、理想のタイプも語っていました。
- 細かいことを気にしない、おおらかな女性
- 爽やかなカワイイ系のビジュアル
- ちょっとした料理をパッと出してくれる女性
奥さんの画像や性格については公開されていませんが、郡司浩平の好きなタイプの女性なのかもw
オフの日はショッピングや食事
オフの日は、「ショッピング」・「食事」で過ごすことが多い。
都内や横浜でショッピングをすることが多く、目撃情報も多数。車や時計も好きなため、高級時計や高級車もちょくちょく買い替えている。



普段の練習では自分を追い込む癖があるので、意識してオフの日を作るようにしています
愛車はポルシェのスポーツカーとSUV


順番 | 車種 |
---|---|
1台目 | 不明(親から継いだ車) |
2台目 | キャデラック SRXクロスオーバー |
3台目 | BMW 3シリーズGT |
4台目 | MINI クラブマン |
5台目 | ポルシェ パナメーラ |
6台目 | メルセデスAMG A45 |
7台目 | ベントレー ベンテイガ |
8台目 | ミツオカ バディ |
9台目 | フォルクスワーゲン ビートル |
10台目 | ポルシェ スポーツカー |
11台目 | アストンマーティン DBX |
車が好きな郡司浩平には豊富な愛車遍歴が。デビュー1年目こそ親から譲り受けた車を乗っていたものの、2年目には500万円のキャデラックSRXを購入。
2~3年乗った後に、3台目以降の車に乗り換えていき、2025年2月現在はポルシェとアストンマーティンの2台持ち。アストンマーティンはもともと買う予定がなかったが、深谷知広に売り込まれて購入に至ったようです。



深谷さんとは、次はフェラーリを買いたいという話をしています(笑)
祝勝会で芸人との交友関係が明らかに
2024年2月に開催された全日本選抜競輪で優勝した郡司浩平。同年10月は横浜市内のホテルで祝勝会が行われることに。この場に現れたのは、お笑い芸人「ジャングルポケット」のおたけ。
おたけの姉と郡司浩平の妻が懇意にしていることから、月島にあるおたけのもんじゃ屋を訪問。その縁で、個人的な付き合いがはじまったそう。
ちなみに、祝勝会を行ったのは2017年ウィナーズカップ(G2)に次ぐ2度目。この時の祝勝会では、パンツ1枚で裸踊りを披露。会場を大きく沸かせたものの、師匠から強く諫められたのだとか。



現在は立場・環境が変わったので裸踊りは封印。グランプリを制した時は、また裸踊りをすると約束しました
郡司浩平の年収(獲得賞金)
年 | 賞金 | 順位 |
---|---|---|
2024年 | 128,603,448円 | 4位 |
2023年 | 66,368,400円 | 15位 |
2022年 | 128,883,600円 | 4位 |
2021年 | 129,529,200円 | 3位 |
2020年 | 95,792,000円 | 4位 |
2019年 | 75,206,400円 | 8位 |
2018年 | 38,088,500円 | 23位 |
2017年 | 50,984,800円 | 9位 |
2016年 | 50,083,400円 | 15位 |
2015年 | – | ランク外 |
2014年 | – | ランク外 |
2013年 | – | ランク外 |
2012年 | – | ランク外 |
2011年 | – | ランク外 |
2013年にS級入りを果たし、翌年にはS級1班へ。トップクラスでの戦いに慣れてきた2016年には、年収5000万円超えを達成し、賞金ランキング15位に。
この年を境に賞金ランキングトップ10に入る常連となり、2020年以降は1億円を稼ぐ競輪選手へと成長。
2015年以前の獲得賞金を含めると8億円を突破。S班を維持している現状であれば、10億円・15億円と賞金を伸ばしていくことが期待できそう。
郡司浩平のSNS(インスタグラム)
」.jpg)
」.jpg)
運用しているSNSは「インスタグラム」。
しかし、アカウントは非公開となっており、中身を見るにはフォローされることが必須。フォローしているアカウントが500人弱であることを考えると、知り合いのみの可能性が。ぜひ、フォローリクエストを送ってみてください。
競輪学校から現在までの成績
2019年にS級S班に昇格。2023年まで4年連続でS班を務め、2024年にS班から陥落しても、2ヶ月足らずでS班復帰を決めた郡司浩平。競輪選手としての華麗な経歴を紹介します。
在校成績10位、デビュー後は心が折れることも
1着回数 | 20回 |
順位 | 10位 |
卒業レース | 1着・2着・4着・8着 |
200mタイム | 11秒16 |
400mタイム | 22秒90 |
1000mタイム | 1分8秒71 |
デビュー前は競輪を辞めたいと思いが強かった時期。野球部を引退した後、厳しい練習から解放される友人たち。ただ一人、競輪選手を目指して練習をする日々を過ごしたことで、モチベーションが低下していた。
在校成績は10位。能力以上に結果が出せなかったのは、精神的な問題があったと言えます。
デビュー戦は2着、同年5月に完全優勝で初優勝
相手は既にデビューしている先輩たち。郡司浩平は、果敢に先行して最終周回のホームストレッチを先頭で通過すると必死に粘りこむ。最後は1期先輩の佐藤裕輝に交わされ2着。デビュー戦を飾ることが出来ず。
前日と同様に強気のレース運び、ホームストレッチで先頭を奪う。最後まで先頭を奪われることなく、タイヤ差で粘りこみ、初勝利を挙げます。
初日・2日目と勝利を収めて迎えた決勝戦。近畿ラインが優勢とされる状況のなか、連勝で勢いに乗る郡司浩平は豪快な追い込みを見せての差し切り勝ち。完全優勝で初優勝を決めます。
デビューから2年でS級に昇格
デビューから2年後の2013年2月、S級に昇格。3戦目にして初勝利。
初優勝を挙げたのは2013年11月、向日町競輪のS級決勝戦。南関東の遠澤健二とのラインで、捲りを決めてワンツー。S1の選手をなぎ倒しての完全優勝となります。
KEIRINグランプリでの成績


年 | 順位 | 勝者 | 開催場 |
---|---|---|---|
2024年 | 4位 | 古性優作 | 静岡 |
2023年 | 不参加 | 松浦悠士 | 立川 |
2022年 | 3位 | 脇本雄太 | 平塚 |
2021年 | 3位 | 古性優作 | 静岡 |
2020年 | 9位 | 和田健太郎 | 平塚 |
2019年 | 5位 | 佐藤慎太郎 | 立川 |
2018年 | 不参加 | 三谷竜生 | 静岡 |
グランプリ出場回数は5回。最高着順は3位(2度)。
2021年は最終周回のホームストレッチで、後方におかれる苦しい展開。進路を確保することが出来ず、直線だけのレースとなり、古性優作が抜け出したあとに着を拾うのがやっとの3着。
2022年は最終周回のホームストレッチで、スパートをかける脇本雄太・古性優作の近畿ラインを追走する形で進出。良いポジションで直線を迎えるものの、古性優作の自転車に接触寸前となり、膨らんでしまったことで僅差の3着。
2024年のグランプリでは北井佑季・岩本俊介と共に南関東ラインを形成するも、脇本雄太・古性優作の近畿ラインによるカマシを喰らい北井が脱落。苦しい流れとなり4着に。
.jpg)
.jpg)
.jpg)
郡司浩平がグランプリを制するには、近畿ライン(脇本雄太)を叩ける強烈な先行選手が必要なのかもしれん
特別競輪競走(GI・G2)タイトル
年 | レース | グレード | 開催 |
---|---|---|---|
2024 | 読売新聞社杯全日本選抜競輪 | GI | 岐阜 |
2022 | 共同通信社杯 | G2 | 名古屋 |
2021 | 読売新聞社杯全日本選抜競輪 | GI | 川崎 |
2020 | 競輪祭 | GI | 小倉 |
2019 | 共同通信社杯 | G2 | 松阪 |
2017 | ウィナーズカップ | G2 | 高松 |
特別競輪競走で初優勝を収めたのは、2017年のウィナーズカップ。
ジャンが鳴る直前に先頭誘導員に並びかけた郡司浩平。S班の稲垣裕之の捲りによって4番手で最終ホームストレッチを通過。最終バックストレッチからスパートをかけ、先頭に躍り出ると、同じ南関東ラインの中村浩士の追撃を振り切ってゴール。



1回前に出て勝負しようと思っていた。ジャンのあとは4番手をキープできて、自分のタイミングで踏めました
初のGI勝利は、2020年の競輪祭。
残り2週の時点で南関東ラインを引っ張る松井宏佑がスパート。2番手をキープしながら、最終周回のホームストレッチを通過。2コーナーで力尽きた松井宏佑を切り離して、単騎で先頭に。ゴール前は平原康多の急襲を受けるるも1/2車輪凌いでゴール。



GI優勝は欲しくてたまらないタイトル。「嬉しい気持ち」と「ホッとしてる気持ち」が込み上げました
数々の大怪我を経験
競輪選手には避けられない接触と落車。郡司浩平も例に漏れず、落車による大怪我を経験。
- 2019年6月
-
落車により鎖骨骨折。2ヶ月間の休養
- 2023年5月
-
落車により右肩甲骨骨折。全治40日の負傷
数々の怪我を経験するも、選手生命を脅かす怪我はなし。



ケガは時間がたてば治る。時間をかけてしっかりケアをして、微妙なズレを調整することで、乗り越えています
郡司浩平の次走、出走予定を知るには


郡司浩平の「次走出走予定レース」はKEIRINJPにて確認が可能。
- KEIRINJPへログイン
- 選手検索で郡司浩平の名前を入力
- 【一押し登録】を行う
- 【一押し選手一覧】から郡司浩平をタップ
- 画面下部の出場予定を確認
.jpg)
.jpg)
.jpg)
レース出場当日はKEIRINJPからメール通知がくるぞ
まとめ
南関東のエース郡司浩平について解説しました。
彼の人柄や肉体からは、競輪に真摯に向き合う姿勢が伝わります。GIを勝利した後に狙うのは、グランプリと賞金王の座。ストイックに上を目指し続ける郡司浩平から目が離せません。
コメント