落車が重なった2023年。度重なる負傷を負い、競輪選手引退を考えるほどの深刻な状況となった平原康多。しかし、2024年の日本選手権で、劇的な復活を遂げてダービー王の座に。
14回のグランプリ出場。長きにわたり活躍できる原動力となっているのは「恩義」。
競輪選手としての能力はもちろんのこと、多くの選手からリスペクトされている平原康多の秘密と魅力を探っていきます。
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平原康多のイケメン画像集
勝ち気で闘争心溢れる選手が多いなか、穏やかな性格が滲み出ている平原康多。まずは彼の画像を見てください。








2023年グランプリ覇者の松浦悠士曰く「本当に尊敬する存在。平原康多みたいになりたい」と語るほどの人格者。菩薩のような雰囲気があふれ出ています。
平原康多とは?
新潟の田舎で生まれた一人の少年。彼が競輪選手を志すまでにどんな過程があったのか?平原康多の生い立ちから、他の選手たちに慕われる性格など、プロフィールについて解説します。
平原康多の公式プロフィール
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名前 | 平原康多(ひらはらこうた) |
ニックネーム | こうた |
生年月日 | 1982年6月11日 |
出身地 | 新潟県西蒲原郡岩室村 |
デビュー | 2002年8月5日(87期) |
身長/体重 | 185.0cm/95.0㎏ |
背筋力/肺活量 | 192.0kg/6700㏄ |
血液型 | A型 |
太もも | 67.0cm |
好きな食べ物 | 肉、寿司 |
嫌いな食べ物 | 特になし |
ホームバンク | 西武園競輪場 |
出身は新潟県西蒲原郡岩室村(現在は新潟県新潟市西蒲区)。田んぼだらけで、自然がいっぱいの場所。弥彦競輪場からは約10㎞と近い場所で、幼少期を過ごします。
食事制限による体重調整
食べ物の好き嫌いはないものの、体重が増えすぎないように気を付けており、晩御飯で食べる量を調整。焼肉に行く事が多く、スイーツも大好き。
中学校3年生に競輪選手を目指す
自然の多い場所で育ったことから、少年時代は毎日外を駆け回って遊ぶ子供でした。海が近い場所であったことから、学校をサボって釣りに行く一面も。
運動神経は良く、小学校時代から野球・サッカー・水泳など、色々なスポーツを経験。

現在は184㎝と長身だけど、小学校時代は平均くらい。中学2年頃から伸び始めました。
中学校3年生の時に、平原家に事件が。
競輪選手だった父平原康広が落車で大ケガを負い、引退することに。その時にバトンを受け取る気持ちで、競輪選手を目指そうと決意します。
父親からは反対をされたものの、高校は自転車競技のある学校に進学することに。
高校の自転車競技部では世界選手権出場
中学3年生のときに、新潟県から埼玉県狭山市に引っ越した平原一家。
競輪選手になることを決めた平原康多は「埼玉県立川越工業高等学校」に入学。
自転車競技では常にタイムを求められ、大会で結果を出すことができない日々。体力作り・身体作りの基礎練習を毎日課されていたことから、苦しいと感じながらの部活動でした。
しかし、体の使い方や自転車の乗り方で、タイムが上がることを先輩から教えてもらうと一変。大会で結果を残せるように。
- ジュニア世界選手権2000出場
- ジュニアアジア選手権2000 スプリント予選7位
国際大会に出場する活躍を見せます。
競輪選手になることを反対した父親は、競輪学校受験を1度だけ許可。背水の陣で受験となるなか、見事一発で合格します。
父「平原康広(28期)」・弟「平原啓多(97期)」
学生時代の家族は両親と弟の4人。父の平原康広(28期)と弟の平原啓多(97期)は競輪選手。
- 1971年2月12日デビュー
- 通算勝利数215勝
- 通算優勝回数2回
S級への昇格経験はないものの、約30年間走り続け、弥彦競輪場を支えた鉄人。
平原康多が中学生の頃に落車で大怪我を負い、引退したことから、息子たちが競輪選手になることについては後ろ向きでした。
しかし、平原康多が競輪選手になると先輩としての顔がチラホラ。家に帰ったときは、聞いてもいないのにアドバイスが飛んでくるのだとか。



弟子と師匠の関係ではないので、納得のいかないアドバイスについては聞き入れません
- 2010年1月1日デビュー
- 2022年、通算200勝達成
- 優勝回数18回
高校時代から競輪選手になることを決め、自転車競技を始めた兄とは対照的に、中学校・高校と野球に打ち込んできました。
年齢は3コ下ですが、兄の姿をみて競輪選手を志したため、平原康多から8年遅れてのデビュー。競輪学校での成績は45位と期待されない中で、選手生活をスタートするも2022年にはS級に昇級。
師匠は平原康多。身長184.5cm、体重94.0kg、兄と同様に恵まれたフィジカルの持ち主で、ビッグレースを目指します。



名目上は師匠ですが、弟とは一緒に練習する仲間という感じです
師匠は59期「太田耕二」
師匠は「太田耕二(59期)」。
- 1987年5月9日デビュー
- 通算勝利数303勝
- 通算優勝回数43回
川越工業高校出身で、平原康多とは同じ出身高校という縁から師匠を受け持つことに。弟には太田真一(75期)、甥には太田龍希(117期)がいる競輪一族。
街道での練習を中心に行い、平原康多の基礎走力を鍛えた師匠ですが、デビュー後は師匠以外の選手にお世話になることが多かったのだとか。
自転車の進ませ方や練習の取り組み方を教えてくれた後閑信一。ライバル関係により、レースの駆け引きを教えてもらった武田豊樹。尊敬できる先輩はたくさんいるようです。
同期(87期)の注目選手




競輪グランプリの優勝経験がある「和田健太郎」。
- 1981年5月27日生まれ
- 2020年、通算300勝を達成
- 通算優勝回数40回 ※2024年末時点
高校時代から自転車競技をはじめ、在校成績29位で卒業。デビューから1年半後にS級に昇格してキャリアを積み重ねると、2015年から特別競輪に出場するように。
2020年に行われた競輪グランプリでは、まったく人気のない立場ながら大金星を挙げます。
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この年のグランプリの3連単配当は、221,650円と大波乱だったんだ
寛仁親王牌競輪の優勝歴がある「園田匠」。
- 1981年9月22日生まれ
- 2020年、通算300勝を達成
- 通算優勝回数37回 ※2024年末時点
小倉競輪場をホームにしながらも、松阪競輪開設60周年記念では平原康多とラインを組み、3番手から抜け出して優勝。2015年には、平原康多と共に競輪グランプリにも出場しています。
ダンディーな出で立ちから、イケメン選手としての認知も高く、女性ファンの多い選手。
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イケメンの競輪選手は、以下の記事でも紹介しているぞ


尊敬する選手は「脇本雄太」・「深谷知広」


尊敬する選手として真っ先に名前を挙げる選手が「脇本雄太(94期)」。
7歳年下(7期下)の後輩にあたるが、現在の競輪界で最も強い選手だと認識している存在。2020年の競輪グランプリでは他地区でありながら、連携を申し出てラインを組むことに。
レースは平原康多5着、脇本雄太2着と勝ちには至らなかったものの、脇本雄太のレベルの高さ・スケールの大きさ痛感し、尊敬の念をより一層深めたのだとか。
数々のビッグレースに出場した「深谷知広(96期)」。
デビューから20連勝を果たしてS級に昇格。2年後には高松宮記念杯を優勝し、以降はGI戦線で活躍。競輪グランプリにも6度の出場歴がある実力者。
平原康多はその実力を認めており、違う地区ながらラインを組んだことのある関係。SNSでのコラボも行ったことがあり、選手としても、人間としても、認め合っている存在です。
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過去に佐藤慎太郎、坂本貴史、野口裕史など、他地区の選手とラインを組んでいるぞ
恩義を大切にする性格。過去にケンカ仲裁も
平原康多を語るうえで、欠かせない要素が「人柄の良さ」。
ラインの仲間を大切にする平原康多はインタビューなどで、たびたび「恩義」という言葉を使います。平原語録をいくつか紹介します。



”自分が勝つ”というよりも”みんなで勝つ”。仲間の勝ちも喜べるような関係で競輪をやりたい



納得いかない並びでも、任せることで、ラインの成長につながることがある。



わがままを通せば、タイトル数は増えるかもしれないが、競輪人生が納得いかないものになってしまう
後輩だけでなく、先輩に対しても人柄の良さは発揮されており、過去にはケンカを仲裁したことも。
8期先輩の諸橋愛と後輩の木暮安由がケンカをはじめ、ラインに支障が出た際に平原康多が仲裁。2人は仲直りをして、ラインは復活したのだとか。
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諸橋愛はケンカ屋として有名な選手。武勇伝については、以下で解説しているぞ


平原康多の結婚・嫁・趣味・年収(賞金)
2002年のデビューから、現在でも第一線で活躍する平原康多。稼いだ賞金も半端なく、趣味に使うお金も豪快。
ここからは、平原康多が獲得してきたお金の話や、現在の家族構成など、より深いプライベートの話をしていきます。
2010年に結婚、子供の3人を持つパパ


40歳を超えている平原康多は、2010年に結婚を発表。3人の子供を持つパパです。
奥様の名前は「奥原久美さん」。一般人ということで、メディア出演の経歴はなく、公開されている画像はありません。
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元々、平原康多の家事手伝いをやっていた女性で、相当な美人だという噂だぞ。
子供は男2人と女1人。長男の蒼太郎くんと次男の橙季くん。末っ子は女の子で、名前は公開されていません。



長男・次男には厳しくしつけていますが、長女は嫁に任せています(笑)
また、平原家では犬2匹を飼っています。名前は「ぽんちゃん」と「りんちゃん」で2匹ともトイプードル。
ぽんちゃんは、ペットショップで平原康多が一目惚れ。子供に向けて「自分は世話しないけど、お世話できる?」と聞いた結果、承諾したことで飼い始めることに。
家族仲は良好なようで、打ち上げでベロベロに酔っぱらって帰ってきたときでも「おめでとう」と迎え入れてくれる。コロナになる前は、毎年競輪祭終了後に家族旅行に出かけていたのだとか。
趣味はゲーム。トレーニング中もゲーム
趣味は「ゲーム」。
『Dead by Daylight(デッドバイデイライト)』が特にお気に入りで3年以上プレイ。部屋に一人でいるときだけではなく、トレーニング中もゲームに勤しんでいる様子。
プレイヤーは殺人鬼(キラー)と生存者(サバイバー)のどちらかを選択。生存者はフィールドからの脱出、殺人鬼は生存者を仕留めるミッションを遂行するゲーム。
車は30台乗り換え。バイク収集癖も


もう一つの趣味は「車集め」・「バイク集め」。
デビューしてから現在まで、車は30台以上乗り換えており、お金を稼ぐモチベーションに。
- ディフェンダー(ランドローバー)
- H2(ハマー)
- エスカレード(キャデラック)
- パナメーラ シルバー(ポルシェ)
- パナメーラ ブラック(ポルシェ)
華麗な愛車遍歴を持つ平原康多の最近のマイブームは、バイクを集めること。自身はバイクに乗ることはなく、観賞用として購入しています。



バイクはハーレーダビッドソンを含めて6台所有。走行距離が1桁kmのバイクもあります(笑)
現在の年収(獲得賞金)は?
年 | 賞金 | 順位 |
---|---|---|
2024 | 138,443,400円 | 3位 |
2023 | 47,795,800円 | 27位 |
2022 | 103,859,000円 | 7位 |
2021 | 126,293,400円 | 4位 |
2020 | 89,413,900円 | 5位 |
2019 | 84,816,600円 | 6位 |
2018 | 99,688,400円 | 4位 |
2017 | 97,897,600円 | 3位 |
2016 | 99,695,000円 | 4位 |
2015 | 104,290,000円 | 4位 |
2014 | 82,030,600円 | 6位 |
2013 | 76,748,000円 | 8位 |
2012 | 31,645,600円 | 36位 |
2011 | 44,208,300円 | 18位 |
2010 | 70,191,500円 | 11位 |
2009 | 112,994,500円 | 5位 |
2008 | 100,382,600円 | 4位 |
2007 | 49,033,900円 | 22位 |
2006 | 62,671,200円 | 13位 |
2005 | ‐ | ランク外 |
2004 | – | ランク外 |
2003 | ‐ | ランク外 |
2002 | – | ランク外 |
2002年にデビューして20年以上活躍する平原康多。2006年にランキング入りすると、2013年からはトップ10に入り続ける大活躍。
競輪グランプリ出場14回は歴代の選手を見ても断トツの1位。毎年1億円近い年収を稼ぐ、トップアスリート。高級車を30台以上乗り換えられるのも納得です。



子供達には、いまの環境を「当たり前だと思うんじゃねーぞ」と教えています(笑)
史上12人目、生涯獲得賞金15億円を突破
2022年11月に開催された競輪祭終了時点で、史上12人目の「生涯獲得賞金15億円」を突破。
2023年、2024年にも賞金を加算しており、現在の獲得賞金は更に上昇。
29億3830万1609円を稼いだ神山雄一郎に迫ることは難しいものの、2位の記録(19億7690万円)を持つ村上義弘を超える可能性は十分にありそう。
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競輪選手の生涯獲得賞金ランキングについては、以下をみてくれ


達成者 | 達成日 | 現在 |
---|---|---|
井上茂徳 | 1997年7月14日 | 引退 |
滝澤正光 | 1998年10月27日 | 引退 |
神山雄一郎 | 1999年12月30日 | 引退 |
山田裕仁 | 2003年12月30日 | 引退 |
吉岡稔真 | 2006年4月11日 | 引退 |
小橋正義 | 2006年6月10日 | 引退 |
鈴木誠 | 2009年4月25日 | 引退 |
伏見俊昭 | 2014年4月20日 | 現役 |
村上義弘 | 2015年11月23日 | 引退 |
武田豊樹 | 2018年8月15日 | 現役 |
佐藤慎太郎 | 2022年6月19日 | 現役 |
平原康多 | 2022年11月27日 | 現役 |
歴代15億円以上の賞金を稼いだ選手は上記の通り。レジェンドがズラリと並んでいて壮観です。
平原康多のSNS、コラム
運用しているSNSは確認できず。
インスタグラムで、平原康多を名乗るアカウントはあるものの、鍵垢となっているため本人かどうかは確認できず。フォロワーが500人いることから、本人である可能性は高そう。
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SNSの代わりに、「平原康多の勝ちペダル」というコラムを連載。
レースの意気込みや回顧。他選手との関係性などの裏話が満載のコラム。レース予想をするうえでも参考になる内容なので、要チェックです!
競輪学校から現在までの成績
グランプリ最多出場、GI8勝、3度のオールスターファン投票1位と輝かしい実績を持つ平原康多。競輪学校卒業から、現在に至るまでの実績をまとめました。
在校成績8位、デビュー戦で絶望
1着回数 | 33回 |
順位 | 8位 |
卒業レース | 1着・4着・2着・2着 |
200mタイム | 11秒12 |
400mタイム | 22秒68 |
1000mタイム | 1分8秒45 |
自転車競技の経験もあり、競輪学校では上位の成績で卒業。
養成所時代のタイムからデビュー戦は勝てると見込んでおり、見事に勝利。しかし、デビュー戦を勝った後は「平凡な選手で終わるんだろうな」と思ったのだとか。



レースの感触から、自分のレベルは高くないなと気付いたんです
そんな平原康多を変えたのは、後閑信一をはじめとした関東の先輩たち。単純な体力ではなく、体の使い方や自転車の乗り方などを教えてもらい、その後は輝かしい実績を残すことに。
2006年、ふるさとダービー勝利
初めての特別競輪勝利となったのは2006年のふるさとダービー。
同じ関東の先輩である武田豊樹が人気を集める状況。平原康多は、関東ラインの先行役として逃げを打ち、最終ホームストレッチでは先頭に。そのまま後続を抑え込み1車身差で1着。
このレースで、優勝賞金1540万円を獲得。この年に初めて賞金ランキング(13位)に食い込みます。
2008年、親友内田慶が落車事故で死去
2008年、同期で親友の内田慶がオールスター競輪のレース中に落車。死亡するという悲しい事故が起こります。
内田慶は落車により、頭蓋骨を骨折。うつ伏せのまま吐血して動くことが出来ず。心肺停止状態で病院に運ばれるも、外傷性クモ膜下出血により死去した。
2019年9月にサテライト一宮で「内田慶選手メモリアルイベント」が開催。平原康多も亡き親友を偲び、献花を行いました。



いまも月に1回は墓参りに行きます。自分の中での記憶は薄れていません
2009年、高松宮記念杯でGI初制覇
初めてのGIは2009年の「高松宮記念杯」。
7度目のGI挑戦となった高松宮記念杯。武田豊樹、山崎芳仁、小嶋敬二と強豪が揃う中、武田豊樹の番手でレースを進めることに。
赤板では浅井康太、小嶋敬二、南修二のラインに前に出られるも、最終ホームストレッチで武田豊樹が捲りを決め先頭に。4コーナーで満を持して抜け出した平原康多が山崎芳仁を抑えて1着。
嬉しい初GIを獲得。その年の11月に行われた競輪祭も優勝して、GI年2勝を記録します。



武田豊樹さんの仕掛けは完璧。武田さんに勝たせてもらったレースでした
GIは8勝、グランドスラムまであと1勝
レース | 勝利年 |
---|---|
読売新聞社杯 全日本選抜競輪 | 2013年 2017年 |
日本選手権競輪 | 2024年 |
高松宮記念杯競輪 | 2009年 2010年 |
オールスター競輪 | 未勝利 |
寛仁親王牌 世界選手権記念 | 2018年 |
朝日新聞社杯 競輪祭 | 2009年 2014年 2016年 |
2024年に日本選手権競輪を優勝してダービー王になった平原康多。2024年末までに勝ったGIは8勝。グランドスラムを達成するには「オールスター競輪」のみ。
年間開催される6つのGIを全て制覇した者に与えられる称号
過去にグランドスラムを達成したのは、井上茂徳・滝澤正光・神山雄一郎・新田祐大の4名のみ。
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平原康多以外では、脇本雄太が全日本選抜競輪。古性優作が日本選手権・競輪祭を勝てばグランドスラム達成だ
2023年、度重なるケガで引退寸前に
2014年から10年連続でS班をキープしてきたが、2023年は度重なるケガでグランプリに出場できず。引退を考えたくなるようなケガの連続で、賞金ランキングも27位に転落。
4月の武雄記念で落車して肩甲骨を骨折。無理に練習を続けていたら「グロインペイン症候群」という症状に。
腰からペダルを踏み続けるように練習方法を変えると「椎間板ヘルニア」を発症して、満身創痍の状態に。2023年後期の特別競輪で準決勝に進むことも出来ず、苦難の時期を過ごすことに。
苦しいシーズンを過ごすも、真摯にケガと向き合い、少しずつ状態をあげると、2024年の日本選手権競輪を勝利。見事に復活を遂げます。



ケガやトラブルがあったときは、自分の今までのスタイルを変えるときかもとポジティブに捉えるようにしています
2024年8月、誘導員デビュー
競輪界の頂点に立つS班の選手ながら、2024年8月には誘導員としてデビュー。
競輪界のトップに君臨しながらも、常に新しい刺激を求める姿勢を崩さず。競輪を色々な角度から見られるチャンスと捉え、誘導免許を取得。地元西武園競輪場で、誘導員の仕事を務めることに。
高校卒業の直前から競輪学校へ入るまでの数ヶ月間、競輪場でアルバイトをしていた経験がある平原康多。競輪を知るための努力を怠らないスタンスは流石の一言。



無観客のミッドナイト競輪で誘導したので、今度は有観客の舞台で引いてみたいです
競輪グランプリ成績
年 | 着 | 優勝 |
---|---|---|
2024 | 8着 | 古性優作 |
2023 | 不出場 | 松浦悠士 |
2022 | 4着 | 脇本雄太 |
2021 | 2着 | 古性優作 |
2020 | 5着 | 和田健太郎 |
2019 | 3着 | 佐藤慎太郎 |
2018 | 8着(落車再乗) | 三谷竜生 |
2017 | 6着 | 浅井康太 |
2016 | 6着 | 村上義弘 |
2015 | 3着 | 浅井康太 |
2014 | 7着 | 武田豊樹 |
2013 | 4着 | 金子貴志 |
2012 | 不出場 | 村上義弘 |
2011 | 不出場 | 山口幸二 |
2010 | 9着 | 村上博幸 |
2009 | 9着 | 海老根恵太 |
2008 | 2着 | 井上昌己 |
2007 | 不出場 | 伏見俊昭 |
2006 | 不出場 | 有坂直樹 |
2005 | 不出場 | 加藤慎平 |
2004 | 不出場 | 小野俊之 |
2003 | 不出場 | 山田裕仁 |
2002 | 不出場 | 山田裕仁 |
競輪グランプリへの出場は14回。引退した選手を含めて最多出場。
- 平原康多 14回
- 武田豊樹 10回
- 浅井康太、新田祐大、村上義弘 9回
14回出場するも勝利経験はなし。2着2回、3着2回、4着2回とあと一歩のところまで迫っています。
オールスター競輪ファン投票結果
年 | 順位 | 最多投票 | 優勝 |
---|---|---|---|
2024 | 13位 | 古性優作 | 古性優作 |
2023 | 5位 | 脇本雄太 | 眞杉匠 |
2022 | 1位 | 平原康多 | 脇本雄太 |
2021 | 1位 | 平原康多 | 古性優作 |
2020 | 2位 | 脇本雄太 | 松浦悠士 |
2019 | 2位 | 脇本雄太 | 新田祐大 |
2018 | 2位 | 新田祐大 | 脇本雄太 |
2017 | 1位 | 平原康多 | 渡邉一成 |
2016 | 4位 | 新田祐大 | 岩津裕介 |
2015 | 3位 | 深谷知広 | 新田祐大 |
2014 | ランク外 | 深谷知広 | 武田豊樹 |
2013 | ランク外 | 村上義弘 | 後閑信一 |
2012 | ランク外 | 深谷知広 | 山崎芳仁 |
2011 | 4位 | 村上義弘 | 浅井康太 |
2010 | 4位 | 村上義弘 | 山崎芳仁 |
2009 | 5位 | 伏見俊昭 | 武田豊樹 |
2008 | 4位 | 小嶋敬二 | 伏見俊昭 |
2007 | ランク外 | 小嶋敬二 | 飯嶋則之 |
2006 | ランク外 | 吉岡稔真 | 井上昌己 |
2005 | ランク外 | 武田豊樹 | 神山雄一郎 |
2004 | ランク外 | 吉岡稔真 | 神山雄一郎 |
2003 | ランク外 | 吉岡稔真 | 村上義弘 |
2002 | ランク外 | 神山雄一郎 | 松本整 |
オールスター競輪には2005年から20年連続で出場。
過去20回の中で優勝回数は0回。2着0回、3着0回、優勝戦に出場した回数も少なく、相性の悪いGIです。
ファン投票1位は3回。成績以上の評価を受けており、人気の高さを証明。オールスター競輪を勝てば、グランドスラムを達成するだけに、好走を期待したいところ。
史上54人目、通算500勝を達成
2024年3月、玉野競輪場のレースを勝利して「通算500勝」を達成。この記録は通算54人目(男子選手では50人目)
- 出走回数 1537回
- 1着 500回
- 2着 292回
- 3着 172回
- 着外 520回
- 棄権 41回
- 失格15回
上記は500勝達成時の出走内訳。勝率32.5%、連対率51.5%と高いアベレージを誇っています。
平原康多の次走、出走予定を知るには


平原康多「次走出走予定のレース」の確認は公式サイトKEIRINJPから。
- KEIRINJPにログイン
- 選手検索タブより「平原」「康多」を入力
- 『一押し登録』をタップ
- 『一押し選手』から平原康多の画面に
- 出場予定欄から次走レースを確認
レース当日はKEIRINJPよりメールが届くため、迷惑フォルダに入らないよう設定するべし。
まとめ
ここまで”競輪界の聖人”平原康多について解説をしました。
20年以上の現役生活を続ける中、S班を維持する鉄人。身体能力の維持だけでなく、仲間を大切にする人間性が光っており、まさに競輪選手の鏡。
競輪グランプリ、グランドスラム。平原康多のこれらの記録を達成できるよう応援をしていきましょう。
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