平原康多とは?グランプリ成績&結婚した嫁・年収・引退の噂など

平原康多とは?グランプリ成績&生涯獲得賞金・嫁・息子・誘導員挑戦など

落車が重なった2023年。度重なる負傷を負い、競輪選手引退を考えるほどの深刻な状況となった平原康多。しかし、2024年の日本選手権で、劇的な復活を遂げてダービー王の座に。

14回のグランプリ出場。長きにわたり活躍できる原動力となっているのは「恩義」。

競輪選手としての能力はもちろんのこと、多くの選手からリスペクトされている平原康多の秘密と魅力を探っていきます。

無料なのにめちゃ当たる!

エデンミリオン」はこんな方々におすすめ。

  • 車券が全く当たらない
  • ラインの仕組みを理解できない
  • 頼れる予想師がいない

選手の実力・ライン予想・回収率…。競輪初心者が全てを攻略するのはほぼ不可能。

まずは”熟練者”からノウハウを学び、独り立ちできるまで他人に頼ってください。

エデンミリオンなら”無料予想”を毎日利用できるので、当たる実感を味わいながら予想力を向上させましょう!

目次

平原康多のイケメン画像集

勝ち気で闘争心溢れる選手が多いなか、穏やかな性格が滲み出ている平原康多。まずは彼の画像を見てください。

平原康多 画像①
平原康多 画像②
平原康多 画像③
平原康多 画像④
平原康多 画像⑤
平原康多 画像⑥
平原康多 画像⑦
平原康多 画像⑧

2023年グランプリ覇者の松浦悠士曰く「本当に尊敬する存在。平原康多みたいになりたい」と語るほどの人格者。菩薩のような雰囲気があふれ出ています。

平原康多とは?

新潟の田舎で生まれた一人の少年。彼が競輪選手を志すまでにどんな過程があったのか?平原康多の生い立ちから、他の選手たちに慕われる性格など、プロフィールについて解説します。

平原康多の公式プロフィール

公式画像平原康多とは?「公式プロフィール」
名前平原康多(ひらはらこうた)
ニックネームこうた
生年月日1982年6月11日
出身地新潟県西蒲原郡岩室村
デビュー2002年8月5日(87期)
身長/体重185.0cm/95.0㎏
背筋力/肺活量192.0kg/6700㏄
血液型A型
太もも67.0cm
好きな食べ物肉、寿司
嫌いな食べ物特になし
ホームバンク西武園競輪場

出身は新潟県西蒲原郡岩室村(現在は新潟県新潟市西蒲区)。田んぼだらけで、自然がいっぱいの場所。弥彦競輪場からは約10㎞と近い場所で、幼少期を過ごします。

食事制限による体重調整

食べ物の好き嫌いはないものの、体重が増えすぎないように気を付けており、晩御飯で食べる量を調整。焼肉に行く事が多く、スイーツも大好き。

中学校3年生に競輪選手を目指す

自然の多い場所で育ったことから、少年時代は毎日外を駆け回って遊ぶ子供でした。海が近い場所であったことから、学校をサボって釣りに行く一面も。

運動神経は良く、小学校時代から野球・サッカー・水泳など、色々なスポーツを経験。

現在は184㎝と長身だけど、小学校時代は平均くらい。中学2年頃から伸び始めました。

中学校3年生の時に、平原家に事件が。

競輪選手だった父平原康広が落車で大ケガを負い、引退することに。その時にバトンを受け取る気持ちで、競輪選手を目指そうと決意します。

父親からは反対をされたものの、高校は自転車競技のある学校に進学することに。

高校の自転車競技部では世界選手権出場

中学3年生のときに、新潟県から埼玉県狭山市に引っ越した平原一家。

競輪選手になることを決めた平原康多は「埼玉県立川越工業高等学校」に入学。

自転車競技では常にタイムを求められ、大会で結果を出すことができない日々。体力作り・身体作りの基礎練習を毎日課されていたことから、苦しいと感じながらの部活動でした。

しかし、体の使い方や自転車の乗り方で、タイムが上がることを先輩から教えてもらうと一変。大会で結果を残せるように。

  • ジュニア世界選手権2000出場
  • ジュニアアジア選手権2000 スプリント予選7位

国際大会に出場する活躍を見せます。

競輪選手になることを反対した父親は、競輪学校受験を1度だけ許可。背水の陣で受験となるなか、見事一発で合格します。

父「平原康広(28期)」・弟「平原啓多(97期)」

学生時代の家族は両親と弟の4人。父の平原康広(28期)と弟の平原啓多(97期)は競輪選手。

平原康広の経歴
  • 1971年2月12日デビュー
  • 通算勝利数215勝
  • 通算優勝回数2回

S級への昇格経験はないものの、約30年間走り続け、弥彦競輪場を支えた鉄人。

平原康多が中学生の頃に落車で大怪我を負い、引退したことから、息子たちが競輪選手になることについては後ろ向きでした。

しかし、平原康多が競輪選手になると先輩としての顔がチラホラ。家に帰ったときは、聞いてもいないのにアドバイスが飛んでくるのだとか。

弟子と師匠の関係ではないので、納得のいかないアドバイスについては聞き入れません

平原啓多の経歴
  • 2010年1月1日デビュー
  • 2022年、通算200勝達成
  • 優勝回数18回

高校時代から競輪選手になることを決め、自転車競技を始めた兄とは対照的に、中学校・高校と野球に打ち込んできました。

年齢は3コ下ですが、兄の姿をみて競輪選手を志したため、平原康多から8年遅れてのデビュー。競輪学校での成績は45位と期待されない中で、選手生活をスタートするも2022年にはS級に昇級。

師匠は平原康多。身長184.5cm、体重94.0kg、兄と同様に恵まれたフィジカルの持ち主で、ビッグレースを目指します。

名目上は師匠ですが、弟とは一緒に練習する仲間という感じです

師匠は59期「太田耕二」

師匠は「太田耕二(59期)」。

太田耕二の経歴
  • 1987年5月9日デビュー
  • 通算勝利数303勝
  • 通算優勝回数43回

川越工業高校出身で、平原康多とは同じ出身高校という縁から師匠を受け持つことに。弟には太田真一(75期)、甥には太田龍希(117期)がいる競輪一族。

街道での練習を中心に行い、平原康多の基礎走力を鍛えた師匠ですが、デビュー後は師匠以外の選手にお世話になることが多かったのだとか。

自転車の進ませ方や練習の取り組み方を教えてくれた後閑信一。ライバル関係により、レースの駆け引きを教えてもらった武田豊樹。尊敬できる先輩はたくさんいるようです。

同期(87期)の注目選手

平原康多とは?「和田健太郎プロフィール」
和田健太郎
平原康多とは?「園田匠プロフィール」
園田匠

競輪グランプリの優勝経験がある「和田健太郎」。

和田健太郎の経歴
  • 1981年5月27日生まれ
  • 2020年、通算300勝を達成
  • 通算優勝回数40回 ※2024年末時点

高校時代から自転車競技をはじめ、在校成績29位で卒業。デビューから1年半後にS級に昇格してキャリアを積み重ねると、2015年から特別競輪に出場するように。

2020年に行われた競輪グランプリでは、まったく人気のない立場ながら大金星を挙げます。

モト

この年のグランプリの3連単配当は、221,650円と大波乱だったんだ

寛仁親王牌競輪の優勝歴がある「園田匠」。

園田匠の経歴
  • 1981年9月22日生まれ
  • 2020年、通算300勝を達成
  • 通算優勝回数37回 ※2024年末時点

小倉競輪場をホームにしながらも、松阪競輪開設60周年記念では平原康多とラインを組み、3番手から抜け出して優勝。2015年には、平原康多と共に競輪グランプリにも出場しています。

ダンディーな出で立ちから、イケメン選手としての認知も高く、女性ファンの多い選手。

モト

イケメンの競輪選手は、以下の記事でも紹介しているぞ

尊敬する選手は「脇本雄太」・「深谷知広」

左:脇本雄太、右:平原康多

尊敬する選手として真っ先に名前を挙げる選手が「脇本雄太(94期)」。

7歳年下(7期下)の後輩にあたるが、現在の競輪界で最も強い選手だと認識している存在。2020年の競輪グランプリでは他地区でありながら、連携を申し出てラインを組むことに。

レースは平原康多5着、脇本雄太2着と勝ちには至らなかったものの、脇本雄太のレベルの高さ・スケールの大きさ痛感し、尊敬の念をより一層深めたのだとか。

数々のビッグレースに出場した「深谷知広(96期)」。

デビューから20連勝を果たしてS級に昇格。2年後には高松宮記念杯を優勝し、以降はGI戦線で活躍。競輪グランプリにも6度の出場歴がある実力者。

平原康多はその実力を認めており、違う地区ながらラインを組んだことのある関係。SNSでのコラボも行ったことがあり、選手としても、人間としても、認め合っている存在です。

モト

過去に佐藤慎太郎、坂本貴史、野口裕史など、他地区の選手とラインを組んでいるぞ

恩義を大切にする性格。過去にケンカ仲裁も

平原康多を語るうえで、欠かせない要素が「人柄の良さ」。

ラインの仲間を大切にする平原康多はインタビューなどで、たびたび「恩義」という言葉を使います。平原語録をいくつか紹介します。

”自分が勝つ”というよりも”みんなで勝つ”。仲間の勝ちも喜べるような関係で競輪をやりたい

納得いかない並びでも、任せることで、ラインの成長につながることがある。

わがままを通せば、タイトル数は増えるかもしれないが、競輪人生が納得いかないものになってしまう

後輩だけでなく、先輩に対しても人柄の良さは発揮されており、過去にはケンカを仲裁したことも。

8期先輩の諸橋愛と後輩の木暮安由がケンカをはじめ、ラインに支障が出た際に平原康多が仲裁。2人は仲直りをして、ラインは復活したのだとか。

モト

諸橋愛はケンカ屋として有名な選手。武勇伝については、以下で解説しているぞ

平原康多の結婚・嫁・趣味・年収(賞金)

2002年のデビューから、現在でも第一線で活躍する平原康多。稼いだ賞金も半端なく、趣味に使うお金も豪快。

ここからは、平原康多が獲得してきたお金の話や、現在の家族構成など、より深いプライベートの話をしていきます。

2010年に結婚、子供の3人を持つパパ

平原康多とは?「2010年に結婚、子供の3人を持つパパ」
メディア出演時の子供の画像。右:長男、中:次男

40歳を超えている平原康多は、2010年に結婚を発表。3人の子供を持つパパです。

奥様の名前は「奥原久美さん」。一般人ということで、メディア出演の経歴はなく、公開されている画像はありません。

モト

元々、平原康多の家事手伝いをやっていた女性で、相当な美人だという噂だぞ。

子供は男2人と女1人。長男の蒼太郎くんと次男の橙季くん。末っ子は女の子で、名前は公開されていません。

長男・次男には厳しくしつけていますが、長女は嫁に任せています(笑)

また、平原家では犬2匹を飼っています。名前は「ぽんちゃん」と「りんちゃん」で2匹ともトイプードル。

ぽんちゃんは、ペットショップで平原康多が一目惚れ。子供に向けて「自分は世話しないけど、お世話できる?」と聞いた結果、承諾したことで飼い始めることに。

家族仲は良好なようで、打ち上げでベロベロに酔っぱらって帰ってきたときでも「おめでとう」と迎え入れてくれる。コロナになる前は、毎年競輪祭終了後に家族旅行に出かけていたのだとか。

趣味はゲーム。トレーニング中もゲーム

趣味は「ゲーム」。

『Dead by Daylight(デッドバイデイライト)』が特にお気に入りで3年以上プレイ。部屋に一人でいるときだけではなく、トレーニング中もゲームに勤しんでいる様子。

Dead by Daylightとは

プレイヤーは殺人鬼(キラー)と生存者(サバイバー)のどちらかを選択。生存者はフィールドからの脱出、殺人鬼は生存者を仕留めるミッションを遂行するゲーム。

車は30台乗り換え。バイク収集癖も

平原康多とは?「車は30台乗り換え。バイク収集癖も」

もう一つの趣味は「車集め」・「バイク集め」。

デビューしてから現在まで、車は30台以上乗り換えており、お金を稼ぐモチベーションに。

  • ディフェンダー(ランドローバー)
  • H2(ハマー)
  • エスカレード(キャデラック)
  • パナメーラ シルバー(ポルシェ)
  • パナメーラ ブラック(ポルシェ)

華麗な愛車遍歴を持つ平原康多の最近のマイブームは、バイクを集めること。自身はバイクに乗ることはなく、観賞用として購入しています。

バイクはハーレーダビッドソンを含めて6台所有。走行距離が1桁kmのバイクもあります(笑)

現在の年収(獲得賞金)は?

賞金順位
2024138,443,400円3位
202347,795,800円27位
2022103,859,000円7位
2021126,293,400円4位
202089,413,900円5位
201984,816,600円6位
201899,688,400円4位
201797,897,600円3位
201699,695,000円4位
2015104,290,000円4位
201482,030,600円6位
201376,748,000円8位
201231,645,600円36位
201144,208,300円18位
201070,191,500円11位
2009112,994,500円5位
2008100,382,600円4位
200749,033,900円22位
200662,671,200円13位
2005ランク外
2004ランク外
2003ランク外
2002ランク外

2002年にデビューして20年以上活躍する平原康多。2006年にランキング入りすると、2013年からはトップ10に入り続ける大活躍。

競輪グランプリ出場14回は歴代の選手を見ても断トツの1位。毎年1億円近い年収を稼ぐ、トップアスリート。高級車を30台以上乗り換えられるのも納得です。

子供達には、いまの環境を「当たり前だと思うんじゃねーぞ」と教えています(笑)

史上12人目、生涯獲得賞金15億円を突破

2022年11月に開催された競輪祭終了時点で、史上12人目の「生涯獲得賞金15億円」を突破。

2023年、2024年にも賞金を加算しており、現在の獲得賞金は更に上昇。

2024年末時点での生涯獲得賞金は、約16億8000万円

29億3830万1609円を稼いだ神山雄一郎に迫ることは難しいものの、2位の記録(19億7690万円)を持つ村上義弘を超える可能性は十分にありそう。

モト

競輪選手の生涯獲得賞金ランキングについては、以下をみてくれ

達成者達成日現在
井上茂徳1997年7月14日引退
滝澤正光1998年10月27日引退
神山雄一郎1999年12月30日引退
山田裕仁2003年12月30日引退
吉岡稔真2006年4月11日引退
小橋正義2006年6月10日引退
鈴木誠2009年4月25日引退
伏見俊昭2014年4月20日現役
村上義弘2015年11月23日引退
武田豊樹2018年8月15日現役
佐藤慎太郎2022年6月19日現役
平原康多2022年11月27日現役

歴代15億円以上の賞金を稼いだ選手は上記の通り。レジェンドがズラリと並んでいて壮観です。

平原康多のSNS、コラム

運用しているSNSは確認できず

インスタグラムで、平原康多を名乗るアカウントはあるものの、鍵垢となっているため本人かどうかは確認できず。フォロワーが500人いることから、本人である可能性は高そう。

平原康多とは?「コラム(平原康多の勝ちペダル)」

SNSの代わりに、「平原康多の勝ちペダル」というコラムを連載。

レースの意気込みや回顧。他選手との関係性などの裏話が満載のコラム。レース予想をするうえでも参考になる内容なので、要チェックです!

競輪学校から現在までの成績

グランプリ最多出場、GI8勝、3度のオールスターファン投票1位と輝かしい実績を持つ平原康多。競輪学校卒業から、現在に至るまでの実績をまとめました。

在校成績8位、デビュー戦で絶望

1着回数33回
順位8位
卒業レース1着・4着・2着・2着
200mタイム11秒12
400mタイム22秒68
1000mタイム1分8秒45

自転車競技の経験もあり、競輪学校では上位の成績で卒業。

養成所時代のタイムからデビュー戦は勝てると見込んでおり、見事に勝利。しかし、デビュー戦を勝った後は「平凡な選手で終わるんだろうな」と思ったのだとか。

レースの感触から、自分のレベルは高くないなと気付いたんです

そんな平原康多を変えたのは、後閑信一をはじめとした関東の先輩たち。単純な体力ではなく、体の使い方や自転車の乗り方などを教えてもらい、その後は輝かしい実績を残すことに。

2006年、ふるさとダービー勝利

初めての特別競輪勝利となったのは2006年のふるさとダービー。

ふるさとダービーは2008年まで実施。2009年より共同通信社杯競輪へ名称変更

同じ関東の先輩である武田豊樹が人気を集める状況。平原康多は、関東ラインの先行役として逃げを打ち、最終ホームストレッチでは先頭に。そのまま後続を抑え込み1車身差で1着。

このレースで、優勝賞金1540万円を獲得。この年に初めて賞金ランキング(13位)に食い込みます。

2008年、親友内田慶が落車事故で死去

コメント

コメントする

目次