北井佑季とは?サッカーからの転身理由&美人妻・年収・実績など

北井佑季とは?年収(賞金)&Jリーグの年俸・妻・練習量・筋肉など

朝5時に起床して、練習を開始。夜9時まで練習を続け、休みはなし。競輪経験0の元Jリーガーが、デビューからわずか3年で高松宮記念杯優勝という偉業を達成する。

その選手の名前は北井佑季。膨大な練習量を誇るうえに実直な性格で、誰からも慕われるオールドルーキー。

今回は北井佑季が、Jリーガーから競輪選手へと歩んだ足跡。Jリーグ時代の年俸と競輪で獲得した賞金の比較など、そして2025年に競輪界を震撼させたドーピング事件について徹底的に調べました。

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目次

強い北井佑季の画像集

デビューから1年でS級へ昇級。翌年にはG3を勝利し、1年後にGIを制覇。シンデレラストーリーを歩む”強い新人”北井佑季の画像を見てください。

北井佑季とは?「強い新人の画像」①
北井佑季とは?「強い新人の画像」②
北井佑季とは?「強い新人の画像」③
北井佑季とは?「強い新人の画像」④
北井佑季とは?「強い新人の画像」⑤
北井佑季とは?「強い新人の画像」⑥
北井佑季とは?「強い新人の画像」⑦
北井佑季とは?「強い新人の画像」⑧
北井佑季とは?「強い新人の画像」⑨

精悍な顔立ちに、凛とした佇まいは”武士”を彷彿とさせるビジュアルです。

北井佑季とは?

子供の頃からサッカー一筋。横浜Fマリノスから神奈川の名門桐光学園へ進学。Jリーガーまで登り詰めた北井佑季は、どのような幼少期を過ごしたのか?

Jリーグでの経歴や競輪選手になった経緯など、詳しく解説します。

北井佑季の公式プロフィール

公式画像北井佑季とは?「公式プロフィール」
名前北井佑季(きたいゆうき)
ニックネームゆうき
生年月日1990年1月27日
出身地神奈川県横浜市
デビュー2021年5月1日(119期)
身長/体重169.0cm/78.0㎏
背筋力160.0kg
血液型O型
太もも62.0cm
好きな食べ物お肉、寿司
嫌いな食べ物なし
ホームバンク平塚競輪場

食べ物への拘りはなし

好きな食べ物は肉、寿司だが、スイーツなど食べ物が全般が好き。過去、ウィキペディアに”肉が嫌い”と書かれていましたが、本人はお肉は好きと発言したことで内容が変更される。

体調管理のために食事を制限する選手もいる中で、北井佑季は食べる量に制限はなく、好きなだけ食べているのだとか。

モト

”競輪選手には体重が必要”という考えのもと、痩せないように食べる量を増やしているんだ

小学5年に横浜Fマリノスのジュニアユース入り

神奈川県横浜市で誕生した北井佑季。3歳からボールを蹴り始めると、物心がついた頃には地元のサッカークラブへ。小学5年生の頃には、横浜Fマリノスのジュニアユースに所属します。

ユースへの昇格を目指したものの、セレクションで落選。ユースの道が断たれたことで、サッカー名門校への進学を考えるように。

モト

15人くらい居るジュニアユースの中で、ユース(高校)に上がれるのは3、4人。狭き門なんだ

高校は桐光学園で全国大会ベスト8

高校は、県内のサッカー名門校「桐光学園高等学校」に入学。

桐光学園出身のサッカー選手

中村俊輔、小川航基、藤本淳吾、田中祐介、本田拓也、他多数

ミッドフィルダーのポジションを受け持ち、2年生でレギュラーに定着。全国大会に出場し、ベスト8まで勝ち上がる原動力となります。

近畿大学を中退してJリーガーに

北井佑季とは?「近畿大学を中退してJリーガーに」
Jリーガー時代の北井佑季
チーム
2010FC町田ゼルビア
2013松本山雅FC
2015カターレ富山
2018SC相模原

高校卒業後は、プロ入りを希望していたが、どのチームからも声がかからず。プロへの道を繋ぐために、近畿大学に入学してサッカーを続けます。

大学2年生の時に、FC町田ゼルビア(JFL)から声がかかったことで、大学を中退して念願のプロ入りを果たす。ドリブルを武器に活躍すると、プロ入り3年目にJ2の松本山雅FCから移籍の話が。

2012~2013年が、サッカー選手としてのキャリアハイでした

移籍1年目は活躍を見せるものの、2年目になると出場機会が減少。J1昇格を狙えるほどの勢いで勝ち続ける松本山雅は、補強を繰り返し、出番は完全に無くなります。

2015年、出場機会を求めてJ3カターレ富山にレンタル移籍。松本山雅よりもレベルが低かったことから、毎試合に出場してチームに貢献。

しかし、3年プレイした後の契約更新では「0円」の提示額を突き付けられることに。

モト

0円での契約更新は、事実上のクビということだ

最後の望みをかけて、地元のSC相模原に移籍するも1年で契約終了。なんとかプロを続けたいと、もがく北井佑季。東南アジアにも足を運び、プロへの道を模索します。

必死に活動するも、プロ継続の道を見つけることが出来ずに、2019年2月末に引退を決意。9年の現役生活に別れを告げます。

サッカー引退後、競輪に挑戦

実力的にも、年齢的にもJ1で戦うことが難しいと判断して、29歳で引退を決意。その後に進む道として、競輪選手警察官で迷うことに。

カターレ富山に在席していたとき、近所に富山競輪場がありました。そこで、競輪選手という職業をはじめて認識しました

幼馴染の兄に競輪選手の小菅誠(90期)がいた縁から、競輪選手になりたいと思う気持ちが大きくなります。

競輪選手になるためには、10ヶ月の養成所生活が必須。また、養成所の入学試験に合格するための練習も必要となり、その間は無収入となります。

サッカー選手時代に結婚をして、子供もいた北井佑季は妻と相談。”1度だけの挑戦”という条件で、競輪選手にチャレンジする事に。

妻は警察官を選んで欲しかったようにも思いますが、自分の挑戦を後押ししてくれたので、感謝しています

サッカー出身(元Jリーガー)の競輪選手

選手在席
大井啓世58期大淀高等学校
北井佑季119期松本山雅FC
河野淳吾99期サンフレッチェ広島
小門洋一49期帝京高等学校
竹内翼109期ファジアーノ岡山
細川秀勝58期古河電工

スポーツからの転身が目立つ競輪選手。意外にもサッカー選手からの転身は少ない。

競輪もサッカーも足を使うスポーツではあるものの、競技で使う筋肉は全く別。運動量も競輪の方が圧倒的に上位で、共通する点は少ないのだとか。

北井佑季の活躍で、今後サッカー選手からの転身は増えるかも!?

師匠は名伯楽「高木隆弘」

北井佑季とは?「師匠は名伯楽の高木隆弘」
師匠の高木隆弘

師匠は名伯楽「高木隆弘(64期)」。

高木隆弘の経歴
  • 1989年8月5日デビュー
  • 高松宮記念杯 他重賞5勝
  • 2019年、通算500勝を達成
  • 通算優勝回数88回

競輪選手になると決意した北井佑季は、幼馴染の兄である小菅誠(90期)に相談。小菅から元Jリーガーである河野淳吾(99期)を紹介して貰い、河野の師匠である高木隆弘に弟子入りします。

高木隆弘は、GIを含む特別競輪5勝を誇る一流選手でありながら、グランプリ覇者である高木真備を育てた名伯楽。その練習は、想像を超える過酷なものでした。

モト

高木真備と高木隆弘の関係は、以下で細かく語っているぞ

高木隆弘が最初に課したのは”食べる量を増やすこと”。競輪選手として活躍する為には、パワーが必要。パワーを生み出すために、食事量を増やして、体重を増やすことを指示します。

練習量も膨大。朝から晩まで練習漬けとなり、時間の感覚がなくなるまで追い詰められることに。感情を全て奪われるまでに練習に明け暮れ、レベルアップに成功。養成所の技能試験に1発で合格します。

人生で一番辛い時期。ここでの練習に比べれば、養成所生活は楽でした

過酷な練習をこなした北井佑季だが、決して弱音を吐く事はなかったそう。厳しい練習で有名な高木隆弘も「もっと休んでも良い」と語るほどに、練習に打ち込むストイックな選手。

同期(119期)のライバル選手

北井佑季とは?「犬伏湧也プロフィール」
犬伏湧也
北井佑季とは?「吉田有希プロフィール」
吉田有希

北井佑季が一番のライバルだと認める「犬伏湧也」。

犬伏湧也の経歴
  • 1995年7月22日生まれ
  • 2023年、通算100勝を達成
  • 通算優勝回数27回(重賞3勝)※2024年までの成績

養成所での成績は1位、1着回数32回。鳴り物入りでデビューした119期のエース。デビュー開催で完全優勝を果たすと半年後にはS級に昇級。

2024年11月の競輪祭では、脇本雄太に食い下がり2着。GIタイトルも近くまで来ています。

とにかく脚力が素晴らしい。119期では一番のライバルです

犬伏湧也の次に指名したライバル「吉田有希」。

吉田有希の経歴
  • 2001年9月8日生まれ
  • 2024年、通算100勝を達成
  • 通算優勝回数14回 ※2024年までの成績

学生時代から自転車競技をやっており、養成所ではゴールデンキャップ賞を獲得。犬伏湧也と同様にデビューから半年でS級に昇格。ヤンググランプリ2着の実績を持つ実力者。

レースが上手くて、競輪を良く知っている。勝つための選択肢を持っており、レース運びは参考になる

仲の良い選手は113期「松井宏佑」

一緒に練習することが多い松井宏佑(113期)

仲の良い選手は「松井宏佑(113期)」。

松井宏佑の経歴
  • 1992年9月24日生まれ
  • ヤンググランプリ2020優勝
  • 2023年、通算100勝を達成
  • 通算優勝回数23回(重賞4勝) ※2024年までの成績

北井佑季と同じく、平塚競輪場を主戦場とする選手。競輪選手としては松井宏佑が先輩だが、年齢は北井佑季の方が上。年齢も近いため、一緒に練習する事が多く、レースでもラインを組むことがある友人です。

タイミングが合えばご飯にも行きます。ただ、お互い家庭もあり、家も遠いので、頻度は多くありません

礼儀正しく、皆に好かれる人柄

性格は「礼儀正しく、皆に好かれる実直な人柄」。

29歳のときに競輪選手へ転身。人よりも速い成長が必要と感じており、他地区の選手にも積極的に教えを乞うているのだとか。年下と話す際も礼儀正しい態度を取る事から、皆に好かれています。

その人柄から、南関東以外の選手とラインを組むことも。2023年に向日町競輪で行われたG3平安賞では、福島の佐藤慎太郎とラインを組んで優勝。ワンツーフィニッシュを決めます。

モト

サッカー選手から転身した選手として、初めてのG3制覇となったんだ

養成所では最年長だったこともあり、同期から慕われていました。普段は無口で寡黙だが、勝利にどん欲で、弱音や他人の悪口を言わない。競輪界でも1,2を争う人格者と評判です。

祝賀会での競輪仲間からの評価

2024年10月に開催された、高松宮記念杯2024の祝賀会。師匠・南関東の仲間・競輪ファンらが参加して、盛大に行われました。参加者による北井佑季評をまとめてみました。

名前関係評価
高木隆弘師匠とにかく弱音を吐かない
滝澤正光養成所長転向組では、誰よりも真剣に競輪に取り組んでいた
岩本俊介南関東憧れる選手。たまには休んでほしい
和田真久留平塚努力家で強い。最後まで諦めない精神力がある
松井宏佑平塚練習に取り組む姿は尊敬に値する
尾崎睦平塚ボロボロになるまで、練習に取り組む姿は凄い
郡司浩平南関東北井佑季・松井宏佑など強い選出の出現は心強い

北井佑季がどんな選手なのかは、仲間からの評価で分かりますね。

肉体改造により、筋肉量が変化

肉体改造により体重が20kg増えた北井佑季

サッカー選手から競輪選手に転身するために、大きく肉体改造した北井佑季。

Jリーガーだった頃には約60kgだった体重は、競輪選手になってから80kgに増強。食事量も大きく増加したが、トレーニング方法も一変。

競輪選手に求められるトレーニング
  • ウェイトトレーニング
  • 無酸素運動の強化
  • ペダリング技術の強化
サッカー選手に求められるトレーニング
  • 持久力トレーニング
  • スプリント練習
  • アジリティトレーニング

爆発的な加速を生み出すための練習を重ね、肉体改造に成功しました。

北井佑季の結婚・彼氏・趣味・年収(賞金)

他の選手が脱帽するほどの練習量を誇る北井佑季。ストイック面が目立ち、私生活について語られる事は少なめ。

ここからは北井佑季の家庭状況や、Jリーガー時代・競輪選手時代の年俸(年収)の変化について解説します。

サッカー選手時代に結婚。妻と子供2人

北井佑季とは?「サッカー選手時代に結婚。妻と子供2人」
家族4人で取った写真

トップ選手になれば年収は億を超える競輪選手。サラリーマンとは、比較にならない年収を得られる職業だけに、女性からのアプローチも多くなります。

北井佑季は結婚しているのか?家庭環境について調べてみました。

北井佑季は既婚妻と子供が2人います。

結婚は松本山雅FCに所属していた24歳のとき。第1子はSC相模原に所属していた2018年4月に誕生。Jリーガー時代はJ2・J3に所属しており、収入はそれほど多くない状況での結婚・出産でした。

奥さんは1年以上無収入になることを許容して、競輪選手にチャレンジすることを許してくれた、心の広い女性です。

趣味は旅行。47都道府県を制覇

練習の鬼で、基本無趣味。そんな北井佑季の唯一の趣味は「旅行」。

競輪選手になる前は、頻繁に海外旅行へ行っていたのだとか。現在はオフシーズンがないため、行く機会は減りましたが、インスタグラムには海外旅行に行ったときの写真が投稿されています。

いままで行った場所で、1番楽しかったのはニューカレドニアです

国内は47都道府県を制覇。ただし、斡旋で各地へ遠征するさいは前泊・後泊をしない方針。レースが終わったら、観光はせずにまっすぐ帰宅します。

”家庭第一”の真面目さも北井佑季の魅力の一つ。

Jリーガー時代の年俸は約500万、現在の年収(獲得賞金)は?

獲得賞金順位
2024年119,646,500円6位
2023年53,001,500円21位
2022年29,075,600円65位
2021年ランク外

2021年にデビューして、翌年には賞金ランキング入り。2022年6月にはS級に昇級し、最速のペースで賞金を獲得しています。

気になるのはJリーグ時代の年収。どれくらいの年俸だったのか調査しました。

Jリーガー時代の年俸は約500万円

正確な額は公開されていないものの、北井佑季が最初に入団したFC町田ゼルビアは2010年時点でJFL所属。

  • J1の平均年俸:約3000〜3500万円
  • J2の平均年俸:約400〜500万円
  • J3の平均年俸:約300〜400万円

Jリーグの平均年俸は上記の通り。JFL→J2→J3→J3と渡り歩いた北井佑季の年俸は500万程度と推察できます。

2023年以降は5000万円以上の収入があるため、Jリーグ時代と比べると年収は10倍以上。さぞ豪華な暮らしをしているのかと思いきや、本人はお金には無頓着。

最低限の生活をするのにお金は必要。ただ、それ以上のお金には興味がなく、選手としての成長に興味がある

2024年に出演したyoutubeでは、選手になってから購入した高い買い物について披露。

1位

超音波の治療器:170万円

2位

スニーカー(ルブタン):15万円

3位

お土産

2024年の獲得賞金が1億円を超えたとは思えない節制ぶり。動画では「自分で贅沢するのではなく、人に喜んでもらうためにお金を使いたい」と発言。聖人過ぎるw

北井佑季のSNS(X・インスタグラム)

北井佑季とは?「SNS(X・インスタグラム)」

運用しているSNSは「Xツイッター)」・「インスタグラム」。

インスタグラムは更新頻度少なめで、競輪選手になってからの投稿は2枚。サッカー選手時代に仲間と撮った写真や旅行先の写真などが投稿。

Xも更新頻度は少なめで、2024年のポスト数は0。検索でアカウントを発見できない設定となっており、運用については後ろ向き。

性格的にSNSに向いていないようで、アカウントを持っているだけの状態ですw

競輪学校から現在までの成績

自転車経験のないオールドルーキーが、デビューからわずか4年でGIを制覇。異例の大出世を成し遂げた北井佑季の華麗な経歴をまとめてみました。

在校成績55位、1着は1回のみ

1着回数1回
順位55位
卒業レース5着・9着・8着・4着
200mタイム10秒94
400mタイム22秒50
1000mタイム1分7秒25

119期の中でも1,2を争う出世頭ながら、在校成績は全70人中55位。1着回数はわずか1回と養成所で成績を残すことはできず。

この数字だけを見ると苦労したように思えますが、第2回記録会ではゴールデンキャップを獲得しています。

養成所では着に拘らず、自分が強くなることのみに拘りました。

目標は”デビュー後に活躍できる選手になること”。それだけを目指して養成所の練習に取り組みました。

余談ですが、養成所生活中に妻が第2子を妊娠。コロナ禍であったため、家族に会うことが出来ないまま訓練を続け、デビュー時には家族が4人に。

デビュー戦3着。2日後に初勝利

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