プロスポーツ選手に必ず訪れる引退。己の身体を極限までに鍛え上げて、バンクを走る競輪選手にも必ず現役を退く日は訪れます。
その理由は様々で、中には競輪選手ならではのとんでもない引退理由も。
ここでは、競輪選手が引退する理由と競輪選手の平均引退年齢・選手寿命について解説をします。
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競輪選手の寿命は?
自転車を自らの力で漕ぎ、着順を競う競輪。その過酷さは他の競技と比べても群を抜いており、強靭な体力と筋力が求められます。
そのため、「年齢を重ねると現役を続けるのは難しいのでは?」と思う人も多いはず。
では実際のところ、競輪選手の“選手寿命”はどのくらいなのか?
他スポーツの選手寿命と比較しながら、競輪界で長く活躍した歴代最年長選手のランキングもあわせて紹介します。
競輪選手の平均引退年齢は?
他のプロスポーツと比較すると、長く活躍できるスポーツとなっています。
| 競技 | 平均引退年齢 | 最年長記録 |
|---|---|---|
| 競輪 | 45歳前後 | 68歳 |
| 野球 | 27歳前後 | 50歳 |
| サッカー | 26歳前後 | 56歳 |
| テニス | 35歳前後 | 48歳 |
| 相撲 | 25歳前後 | 51歳 |
| 競馬 | 38歳前後 | 68歳 |
| 競艇 | 50歳前後 | 77歳 |
| オートレース | 43歳前後 | 76歳 |
野球やサッカーは選手同士の競争が激しく、体力・瞬発力・動体視力が求められるスポーツであるため、平均引退年齢は低め。
さらに、野球やサッカーは民間のチーム運営で、高額年俸をもらうスター選手がいる一方、成績が落ちればシビアに契約を切られる世界。
体力が衰えていなくても、成績不振でクビになるケースも少なくありません。こうした事情が、引退年齢を早める要因にもなっています。
公営ギャンブルは全体的に平均引退年齢が高く、機械を使って競技を行う競艇・オートレースは、70代後半まで現役を続けた選手も。
モト平均引退年齢45歳は男子競輪の記録。ガールズケイリンの平均引退年齢は34歳だ。
また、競輪は経営母体が省庁(公営)ということもあり、クビになる選手の数はかなり少なめ。
競輪には「代謝」と呼ばれる強制引退の仕組みはありますが、男子は2000人以上いる中で年間の代謝人数が約60人。ガールズケイリンも200人超の選手に対して、年間で6人ほどしかいません。
体力が落ちて成績が下がっても、ある程度は現役を続けられる。そうした仕組みが、競輪選手の“寿命”を長くしている要因のひとつです。


競輪選手、高齢引退ランキング
| 名前 | 引退年齢 | 期 |
|---|---|---|
| 湯浅昭一 | 68歳 | 期前 |
| 黄金井光良 | 66歳 | 期前 |
| 金子唯夫 | 66歳 | 期前 |
| 萩原三郎 | 66歳 | 期前 |
上記は競輪学校における「期」が出来る前の最年長引退記録。
1948年に競輪がスタートして、選手養成教育が始まったのは1951年。まだ、競輪とは何たるものかが定まっていないときに選手になった人が最高齢記録を独占しています。
昭和の競輪は、現代と比べると脚力よりも削り合いで勝ち負けが出来た時代。また、競輪選手の総数が、現代の倍となる4000人以上いた背景もあり、68歳という最年長記録が生まれたと言えます。
| 名前 | 引退年齢 | 期 |
|---|---|---|
| 三ツ井勉 | 64歳 | 45期 |
| 佐古雅俊 | 63歳 | 45期 |
| 佐々木浩三 | 62歳 | 50期 |
| 野崎修一 | 62歳 | 57期 |
| 北沢勝弘 | 62歳 | 54期 |
上記は競輪学校における「期」が出来た後の記録。
1位の三ツ井勉は期制度が取り入れられた後の最年長記録を持っているだけでなく、最年長勝利(64歳2ヶ月19日)の記録も保持。
3位の佐々木浩三・野崎修一・北沢勝弘は、なんと2025年現在も現役選手として活躍中。
当然ながら現役でバリバリ活躍しているという状況ではなく、点数は代謝対象の前後で推移。1着を狙うというよりも、1つでも上の順位を拾っていき点数を稼いでいくことが記録更新の鍵になります。
競輪の選手生命が長い理由
己の体力のみで勝負する競技ながら、野球・サッカーよりも選手生命が長い競輪。一般の人は”60歳を超えてプロを続けられる”ことにピンとこないはず。
ここからは、なぜ競輪選手の選手生命が長いのか?その理由について解説をします。
ラインによって追走が可能
競輪選手の選手寿命が長い最大の理由は「ライン」。
このラインの存在によって、単純な脚力勝負では大きく劣っても、上位の着順を獲ることが可能になります。
ラインの先頭を走る先行選手は、風の抵抗を受けながら走るため、誰よりも脚力と体力が必要。一方、番手の選手は先行選手の後ろにつくことで、風を避けて省エネ走行が可能に。
強い先行選手にうまくついていけば、“漁夫の利”で好成績を拾うことも可能。競輪は、1着じゃなくても上位に入れば現役を続けられる世界。
つまり、ラインがベテラン選手を支えているわけです。
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競輪におけるラインの意味は、以下で詳細に解説している。参考にしてくれ


技術介入度が高い
体力勝負に見える競輪ですが、実は技術介入度合いが高い競技です。
個人のタイムトライアル戦ではないため、周回中の位置取りや仕掛けどころ、他の選手をブロックする横の動きなど、レースで上位に入るための技術が存在。
体力が衰える選手でも、レースの組み立てやブロックなどの技術でカバーして、上の着順を獲得することが可能。結果、現役を長く続けられることになります。
代謝(強制引退)は年間60名のみ
男子競輪選手の総数は、2000人以上。
2000人のなかで、強制引退となるのは年間で60名(半期30名ずつ)と全体割合の3%。競輪選手の全体数に比べてクビになる選手の割合が少ないという現実があります。
実力が落ちたベテラン選手でも、他のベテラン選手よりも上の成績を残し、下位3%に入ること防げれば、自ら引退を申し出ない限りは選手を続けることが可能。そんな仕組みが出来上がっています。
結果として、能力が衰えても“代謝”の対象とならずに残る選手が多いというのが、競輪界の現実です。
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チャレンジ(A級3班)には50代の選手がたくさんいるぞ。
ちなみにチャレンジ(A級3班)では、年収600万円前後を稼ぐことが可能。生活するのに十分な収入を獲得できることも、引退を選択しない選手が多くなる要因に。


再就職が困難
男子競輪選手の多くは社会人経験がない状態で、養成所(以前は競輪学校)に入り、選手生活を続けています。
プロスポーツ選手としてのキャリアしか歩んでいないため、一般のサラリーマンとして働くことに抵抗を覚える選手も多く存在。
- 競輪場内の飲食店
- 競輪場内の場内警備
- 選手へのインタビュアー
- 競輪場のバス運転手
- 車検整備スタッフ
引退後は競輪に関わる仕事に就く選手も多く、プロアスリート選手であった経験を活かして整体院・マッサージ師・鍼灸師として勤める選手も。
ちなみにガールズケイリンの選手は他の職業を経験した後に競輪界に入った選手が多く存在。
| 選手 | 前職 |
|---|---|
| 日野未来 | アイドル |
| 尾崎睦 | ビーチバレー |
| 仲澤春香 | ボート選手 |
| 中村由香里 | 教師(小学校) |
| 亀山史香 | 美容師 |
激しい男子競輪に対して、華やかなガールズケイリン。双方の対比こそ、競輪界の面白さを示していると言えるでしょう。
競輪選手引退の理由
ここからは競輪選手が引退する理由について、事例を出して解説します。
公営競技である”競輪ならでは”のユニークな引退理由も含まれているので、参考にどうぞ。
体力の限界


一般的なプロスポーツ選手のピークは20代。
ラインや技術介入度の高い競輪選手でも、ピークは20代後半から30代半ばまで。ただ、50歳になってもプロを続ける選手も多く、選手寿命の長いスポーツですが、加齢とともに体力の低下は避けられないもの。
チャレンジ(A級3班)まで落ちても頑張る選手もいれば、S級を維持できないと判断した時に引退する選手も存在します。
辞めるタイミングは選手によって違うものの、体力的に選手を続けられないレベルまで落ちてしまうと、引退に追い込まれることに。
生涯獲得賞金29億円超えのレジェンド神山雄一郎は、なんと56歳まで現役を続行。引退時の級班はS級と鉄人ぶりを見せつけたことも話題に。
体力といえば、競輪選手には“走る”以外の体力も求められることに。選手たちは月に2回ほど、全国各地の競輪場を転戦しながらレースをこなします。
北は函館から南は熊本・別府・佐世保まで。遠征先は全国に広がり、移動だけでも長距離移動が続くハードな日々。
レースそのものはもちろん、移動・宿泊・調整といった過程でも体力を大きく消耗。結果として、年齢を重ねた選手にとっては「走る力」だけでなく「戦い続ける体力」そのものが問われるスポーツなのです。
ケガにより余儀なく引退に
- 最高時速70km
- 剥き出しのボディー
- 選手同士の激しい接触
- 硬いバンク(地面)
- 限界を求められる体力
- 故障リスクのある自転車
競輪はプロスポーツのなかでも、飛びぬけて危険度の高い競技。
選手にとってケガは日常茶飯事で、骨折したままレースを走るなんてことも当たり前の光景。ケガの内容によっては、選手生活を絶たれるケースも…。
81期の山下竜児(やましたりゅうじ)は、練習中の落車によって大怪我を負って引退。
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今後、自分のような選手を出さないように、現在は義手や義足、サポーターなどを制作する会社に勤めているのだとか。制作した商品は競輪のみならず、野球やバドミントンなどプロ・アマ問わず、一流のアスリートが使っています。
中には、ケガをしたことによってJKAから引退勧告された選手も。
2005年に高松宮記念杯競輪を優勝した77期の村本大輔(むらもとだいすけ)。
GIを勝利した経験もある一流選手である村本はケガにより、頸椎を骨折。
不屈の魂でレースに復帰して走っていたものの、その後レース中の落車で指2本を切断するアクシデントに見舞われます。
競輪選手の規定には「指が10本あること」という条件があることから、JKAから引退勧告を受け、競輪選手を続けることが出来ず…。
本人は腕1本でも走るという気力があったようですが、引退を余儀なくされました。
落車によるレースへの恐怖
競輪選手は体力の低下だけでなく、精神力の低下も引退を決意する大きな原因に。
池崎太郎(69期)はS級で活躍する一流選手でしたが、落車により座骨を骨折。
治りが遅かったため、この骨折で8ヶ月近くレースに出場が出来なかった池崎太郎。ケガを治した後、体は元通りに戻ったものの落車の恐怖が頭をよぎって、レースになると力を出すことが出来ないように。
練習で出来ている走りが、落車の恐怖によってレースで発揮できなくなってしまったことで引退を決意。
レースでのMAX時速は約70km。十分な防具を装着することなく、ライバルたちとは激しく体の接触を行ったうえで、1cm単位で他の選手と争う危険と隣り合わせのスポーツ。
大きな事故によって、トラウマを抱えてしまうと復帰することは不可能に。
2014年にヤンググランプリ、2015年にはサマーフェスティバルを制した近藤龍徳も落車による精神的なダメージで引退を決めた1人。
「夜王」の異名を持ち、強気な態度・レースぶりでバンクを沸かせた選手でさえ、落車によって心が折れてしまうこともあります。
改めて、危険と隣り合わせのスポーツであると言えます。
スポーツには”イップス”と呼ばれる精神的なトラウマによって、成績をガクンと落としたり、引退することがあります。落車は競輪におけるイップスを植え付ける最も大きな要因となるトラブルです。
燃え尽き症候群
競輪選手の中には体力の衰えがなくても、気力の衰えで引退する選手も。
気力の衰えで引退したとインタビューで語ったのは91期の藤野孝彦(ふじのたかひこ)。
- 競輪学校第91期生
- 2006年プロデビュー
- 2016年引退
- 通算出走回数586回
- 通算勝利数121回
- 優勝回数12回
父親が競輪選手だった藤野孝彦。幼少期はその場のノリで「競輪選手になりたい」と語っていたものの、実際は将来について何も考えておらず。
小中学校でサッカーに熱中し、高校でもサッカーをやろうと思い父親に相談したところ、自転車競技のある高校の特待生入学を勝手に決められてしまうことに。強制的に高校で自転車競技をやることになります。
高校では自転車の才能を開花させ、世界選手権優勝など華々しい記録を残すと、卒業後に競輪学校(現養成所)に入学。
在校成績1位を収め、2世選手として鳴り物入りでデビュー。ヤンググランプリや寛仁親王牌競輪にも出場します。
順風満帆な選手生活を続けるも、物欲がなかった藤野孝彦。過酷の練習を課し続け、常にレースに勝つために考え続けなくてはいけない競輪選手という職業が苦痛になるように。
最初はお金を使って己のハングリー精神を生み出そうとしていたものの、自分が暮らすためには月15万円あれば十分だと考えるようなったことで意欲が無くなっていき、10年間の競輪人生に幕を下ろすことに。
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トップ選手たちは自分のやる気を高めるために高級車を何台も買ったり、高級時計を何本も買う選手がいるんだ。
競輪選手を続けるには、常人では考えられないレベルの激しい練習が必須。レースで勝ちたい・お金を稼ぎたいという気持ちがないと続けることは困難。
気持ちの持続が難しいという理由で、引退する選手も多く存在します。
強制引退(代謝)
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競輪界では毎年約70名が「代謝」という名称で強制的に引退させられます。
2000人を超える選手が所属する競輪選手。
毎年100名近い新人選手が養成所から送られる競輪界。クオリティの高い「競輪」を維持するために、レベルの低い選手を強制的に引退させる必要があります。
- 半期ごとに男子選手30名、女子選手3名。
- 1年で男子選手60名、女子選手6名。
引退する人数は、上記のように決められています。
現在、解説者・キャスターとして活躍している濱野咲は、代謝によってガールズケイリンを強制引退させられた選手。
- 元々、実力が足りなかった選手
- ケガによって実力を出せなくなった選手
- 加齢によって力が衰えてしまった選手
上記のような選手が代謝によって引退をしています。
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代謝制度については、以下で詳細に解説している。こちらも参考にしてくれ。


不祥事による引退


競輪選手には不祥事によって引退する場合も存在。
ただ、競輪界はかなり身内に甘い部分もあり、過去には大きな事件を起こしながらも引退をしなかった場合がほとんど。
- 2021年に飲食店で女性を触り、強制わいせつ罪で逮捕された86期の海老根恵太(えびねけいた)
- 2011年に飲酒運転による死亡事故を起こして逮捕された76期の佐々木健司(ささきけんじ)
- 2018年にスマホ持ち込みによる八百長疑惑をかけられた112期の大久保花梨(おおくぼかりん)
- 2025年にドーピング違反がハックした119期の北井佑季(きたいゆうき)
いずれの場合も長期のあっせん停止となったものの、その後は選手として復帰。この復帰を懐が深いと取るか、身内に甘いと取るかは判断に迷うところ。
まとめ
ここまで、競輪選手の引退について解説をしました。
平均引退年齢が高く、現役生活が長い競輪。2000人を超える多数の選手が在籍しており、実力が落ちても走れる体制が整っている点が魅力の1つですね。
プロスポーツの高齢化が進んでいる昨今、70歳の競輪選手がバンクを走る日が来るのも遠い未来ではないかもしれません。
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モト(ギャンラブ管理人)
元・大手新聞社スポーツ記者。競輪・競艇の現場取材・編集に従事後、独立してメディア運営を開始。実践経験と現場知識をもとに、競輪初心者にもわかりやすい情報を発信中。


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