吉田拓矢とは?暴走による斡旋停止&嫁・結婚・兄弟・子供など

吉田拓矢とは?暴走による斡旋停止&嫁・結婚・兄弟・子供など

仲間を引き上げるために、全力で踏んだ結果「暴走行為」の判定に。3ヶ月レースに出場できない『あっせん停止』処分を喰らった吉田拓矢

競輪界でも滅多に見られない違反を犯してしまった吉田拓矢は荒くれ者なのか?仲間想いの情に厚い人間なのか?

ここでは、競輪選手吉田拓矢の人柄や素顔について、事細かに調査。競輪選手としての経歴から、プロフィール・プライベートまで公開します。

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目次

吉田拓矢の画像集

無骨な外見にそぐわぬ、人柄の良さ。そのすべてが詰まった吉田拓矢のビジュアルをご覧ください。

吉田拓矢とは?「画像集①」
吉田拓矢とは?「画像集②」
吉田拓矢とは?「画像集⑤」
吉田拓矢とは?「画像集⑥」
吉田拓矢とは?「画像集⑦」

愛嬌がありながらも、男らしさを感じさせるルックス。「これぞ競輪選手」という雰囲気に溢れています。

吉田拓矢とは?

父親と叔父が競輪選手。生まれた時から競輪が身近な存在だった吉田拓矢。

そんな彼が競輪を始めるきっかけは非常にネガティブなものでした。ここでは、吉田拓矢の子供時代や人間関係などを解説していきます。

吉田拓矢の公式プロフィール

公式画像吉田拓矢とは?「公式プロフィール」
名前吉田拓矢(よしだたくや)
ニックネームヨシタク
生年月日1995年5月7日
出身地茨城県
デビュー2015年7月1日(107期)
身長/体重171.5cm/73.3㎏
背筋力177.0kg
血液型O型
太もも60.0cm
好きな食べ物焼肉
嫌いな食べ物サーモン
ホームバンク取手競輪場

競輪一家

吉田拓矢は父親・叔父・弟2人が競輪選手という競輪一家。

吉田哲也(父親:51期)
  • 1983年4月15日デビュー
  • 2012年6月19日引退
  • 通算470勝
  • 通算優勝回数8回
吉田伸二(叔父:54期)
  • 1984年9月1日デビュー
  • 2003年1月10日に引退
  • 通算152勝
  • 通算優勝回数3回
吉田昌司(弟:111期)
  • 2017年7月11日デビュー
  • 2021年、通算100勝達成
  • 2025年1月時点、S級2班
吉田有希(弟:119期)
  • 2021年5月21日デビュー
  • 2021年、通算100勝達成
  • 2025年1月時点、S級1班

吉田拓矢は5人兄弟の次男。吉田昌司は三男。吉田有希は四男。

父親・叔父は競輪選手ではあるものの、絶対に自転車競技をやってほしいという雰囲気はなく、自由に育ったそう。

実家には家族だけでなく、パグやフレンチブルドッグを飼っており、賑やかな家庭で育ちました。

中学校時代は水泳部

幼少期・中学校時代は水泳部に所属。スポーツはずっと水泳一筋でしたが、年月を重ねるごとに楽しさを感じなくなり、熱意が低下。

水泳を辞めたいという思った時に、父親と叔父がやっていた競輪が頭に浮かぶように。

高校で自転車競技をやるきっかけは、水泳に対する後ろ向きな姿勢でした。

取手第一高校で高体連優勝

吉田拓矢とは?「取手第一高校で高体連優勝」
取手一高時代に選抜大会で優勝する吉田拓矢(左)

高校は「取手第一高等学校」に入学。

自転車競技の名門校として知られる取手第一高校は、過去に多くの競輪選手を輩出。

取手一高出身の競輪選手

長塚智広(81期)、十文字貴信(75期)、朝倉智仁(115期)、松崎広太(123期)

高校で自転車競技を始めた吉田拓矢は一気に素質が開花。

  • 2013全国高校選抜ポイントレース 1位
  • 2013全国高校総体4km速度競走 6位
  • 2013ジュニアオリンピックポイントレース 2位

高校で実績を残した吉田拓矢。卒業時に大学進学と競輪選手の2択で迷いましたが、競輪選手になることを決意して、養成所への入所を決めます。

父親は競輪選手になることを薦めてはいなかったけど、選手になりたいと相談したら協力してくれるようになりました。

師匠は75期「十文字貴信」

吉田拓矢とは?「師匠は75期十文字貴信」
師匠の十文字貴信はスパルタ指導で有名

師匠はアトランタ五輪銅メダリストの「十文字貴信(75期)」。

十文字貴信の戦績
  • 1995年4月8日デビュー
  • 通算186勝、優勝回数22回
  • 1996年アトランタオリンピック銅メダル
  • 1996年競輪グランプリ出場

取手第一高校の先輩後輩の縁で師匠になった十文字貴信。吉田拓矢にとっては、競輪の基礎や考え方など全てを教えてくれた師匠です。

厳しく指導して貰えたので、自分には今がある。

十文字貴信は2019年に引退したものの、2016年の滝澤正光杯では一緒にライン連携を行うことに。厳しい師匠との連携に吉田拓矢はガチガチになっていました。

モト

ちなみにレースは師匠の十文字貴信が吉田拓矢のスパートについていけずにラインが切れてしまったんだ(吉田1着・十文字4着)

引退した十文字貴信は、地元福島県で「白河屋」というラーメン屋を営んでいます。

兄弟「吉田有希」「吉田昌司」も競輪選手

吉田拓矢とは?「兄弟吉田有希・吉田昌司も競輪選手」
吉田三兄弟。吉田昌司(左)、吉田有希(中)、吉田拓矢(右)

吉田拓矢の弟、吉田昌司(三男)、吉田有希(四男)も競輪選手。

兄の吉田拓矢は、自転車競技の名門「取手第一高校」に入学して自転車競技に取り組んでいましたが、吉田昌司・吉田有希はつくば工科高校に入学。

つくば工科高校は自転車競技がない学校で、吉田昌司が愛好会として団体を立ち上げると、吉田有希がクラブ活動を創設することに。

吉田有希は、3年生の時に1kmタイムトライアルで、インターハイ3位・国体優勝などの実績を挙げます。

弟2人が自転車競技を始めたのは、自転車で活躍する吉田拓矢に憧れたことがきっかけ

吉田有希が中学校の頃、兄の拓矢はヤンググランプリに出場。トッププロに交じってバンクで走る兄の姿がカッコ良かったのだとか。

吉田昌司の師匠は「十文字貴信」。吉田拓矢の紹介によって同じ師匠に。

吉田有希の師匠は「吉田拓矢」。憧れの兄が師匠となり、普段は兄弟3人を含めた取手競輪の仲間と練習をしています。

同期(107期)最大のライバルは「新山響平」

吉田拓矢とは?「同期(107期)最大のライバルは新山響平」
同期でありライバルである新山響平(右)

吉田拓矢の同期(107期)で最大のライバルとなる選手は「新山響平」。

養成所では、所長である滝澤正光が直々に指導する『滝澤教場』で鍛えあった間柄。

養成所での卒業記念レースにおいて、吉田拓矢は新山響平に敗れて9着。勝った新山響平は鼻高々かと思いきや…。

ただ展開で勝っただけ、先行は吉田にされた納得できるような内容ではなかった。

吉田拓矢の存在を意識するようなコメントを残します。

先にS級になった吉田拓矢。追ってS級に上がった新山響平は、1年後にルーキーチャンピオンレースで再戦することに。

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